薄荷塔ニッキ

飛び石を渉れない。

healthy&wording

 青い光を見て死にたいだのチェルノブイリに入りたいだの云っていたら、ちゃっかり夜中に鬱を拗らせて薬を大量に飲んで、翌朝居間で倒れているのを家人に発見され、そして夕刻まで夢もみずに寝ていました。年始早々何をしているんだ……Cさんごめん……(でもCさん慣れてる感ある……)*1

 Cさんも私も、お正月休みはコードを打ってwebを作ったり電子書籍を作ったりして過ごす予定です。ナードでハード。ナードだからスライスチーズだけを食べたい。ナードだから二次元のものしか食べないの。

 マイクロサーフス


 wordpressを戯れにいじっているのですが、通常のHTML書類を書いた方がずっと早いし楽しいよなあ、と思っています。
 一旦wordpressで押さえてから、似ているデザインを自分のエディタで作り直すか……

 あ、でも見てくださいこのweb。(っていうオチ)

 20180104101843
 △Click!!!!


 しかし教本買っちゃったんです。マメジだから。少しはいじり倒すしかありません。
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*1:本当にCさんは私が不穏になっても声が出なくなっても奇行をとってもぶっ倒れていても昏睡し続けていても、いつものことだという感じがあって、もしもそのまま意識が戻らず私が死んだら、同居しているCさんは世間から責任を問われるのではないかと他人事ながら(いや自分のことですが)心配です。本当に悪いことしてる。

Čerenkov radiation

終末より永遠をおそれる君に青く聖別のチェレンコフ光(松野志保)

              『率 Free Paper COLLECTION 2012-2014』より

 
チェレンコフ光って、いいね」
 と、偶然この短歌を見せた私に家人Cさんが云い、「チェレンコフ光って何?」と私は訊いて暫く問答したあと、「私チェルノブイリに行きたい。禁止区域だって入れるんでしょう。光を見て死にたい」
 と、云うと、Cさんは、「俺はまだ死にたくないし。おゆらが死ぬのも厭だし」と云った。
 悪いことを云ったと思った。気持ちは変えられないのだけれど。象の足だの何だの知っているくせに淡々と(見える)ように過ごしているCさんは謎だ。


 死にたい、なんて、悪いことを云ったと思って、打ち拉がれて、早寝する(私より5時間は早い)Cさんの横で、もう寝ようとしている。
 何故青いのだろう。何故青は私にとってこんなにも美しいのだろう。

 懐かしい防人の歌のメロディに合わせ 父の死をうたいながら
 私はチェルノブイリのゲートを越えてゆきます。
 5日後にオープンするはずだった遊園地で遊ぶ子どもたちが笑っています。泣いています。思い思いの顔をしています。彼らの目線の方向を辿るとあの日の様子が、まるで体験したことのように、瞼に焼き付きました。

(そにっくなーす)

 H29.3.11「ことばが死ななかったよる」/そにっくなーす - YouTube


 今日は本棚をぶらついていて、短歌誌を偶然手に取っただけなのだが、それはそうと、私は『率』は好きだ。新刊が読みたい。


 




 2018年「おうちに帰りたい読書」の2冊目はこの本。

 

自殺 (文春文庫)

自殺 (文春文庫)


     


    
     

Schluff

 読み初め。

 

二十歳の原点 (新潮文庫)

二十歳の原点 (新潮文庫)


 帰りたい、と思ってしまう。特に年の境目、ふし目だったから。
 懐かしく大切な書籍に戻っていけば、「おかえり」と云われずとも心は安まり、高まり、愛を感じ、呼吸が出来る。

旅に出よう
テントとシュラフの入ったザックをしょい
ポケットには一箱の煙草と笛をもち
旅に出よう

*1



 何故中学校1年生の学級文庫に、かなり読み込まれたこの本があったのだろうか。13歳の子どもたちに、担任の先生は読ませたかったのだろうか。ただ、私は、友だちが出来ずに孤独だった1学期の4月に『二十歳の原点』を読んだ。
 帰りたい。何処へ。実家ではない。宇部ではない。京都ではない。記憶へ。
 新しい本へ踏み出さない臆病者で、迎えてくれる読書に耽る。2日未明、湯船。帰りたい。帰りたい。帰る場所が欲しい。何処か帰る場所が欲しい。私の手帖でも、小説を書いている原稿用紙でも、MacBookでも、──最も必要とするのは、そこを〝帰り場所〟だと思う心持ちなのだ、と、平静にblogを書くと、それは、解るのだけれど。
 2018年。帰りたい、と思う読書で明ける。帰る場所が無いんだ。それだけは高野悦子さんも、同じように思っていたのではないだろうか。


 


 飲酒を控え(喫煙はしないので)ジンジャエールを立て続けにのんだ。この写真の翠の光はそれ。綺羅綺羅と──まったく、きみは硝子が好きだね──。

 16歳の高校生の遠足、「いずみちゃんは20歳にならずに死にそう。永遠の少女だから。って、ピストルで、バァーン!」ひとりの友だちが云って、みんなわぁと笑ったので私もけらけら笑った。もう32歳にもなれましたよ。あの頃の子、ひとりは19で死んだよ。


 中学1年、学級文庫を設置してくれた先生は、『二十歳の原点』やら何やらに並べて『ネズミくんのチョッキ』シリーズも書棚に置いていらっしゃった。まったくチャーミングな方なのだ。今は、中高の(一貫校なので)教頭先生になっていらっしゃる。「自分の担任クラスが持てないことがさびしいです」と年賀状だかメールだかに書いてくれていた。あのひとは私のお母さんだ。

 ねずみくんのチョッキ (ねずみくんの小さな絵本) また!ねずみくんのチョッキ (ねずみくんの絵本 3)l] またまた!ねずみくんのチョッキ (ねずみくんの絵本 7)


   

   
    
 
  

*1:ちなみに読書をするとこの死を絶筆に自死へ向かったかのように読めるが、この詩から鉄道自殺までには2日間、書かれていない時間がある

2017.12.29 - Buchladen

 Cさんの仕事納め。私も何とか年内最後の入稿。
 夕刻ふたりで淳久堂へ。

 廻廊にて (P+D BOOKS)l] 夢見る少年の昼と夜 (P+D BOOKS) うたかたエマノン (徳間文庫)


 レスポンシブ・ウェブデザイン標準ガイド あらゆるデバイスに対応するウェブデザインの手法 WordPress Web開発逆引きレシピ WordPress4.x/PHP7対応

 レスポンシブデザインの本は確認せずに買ったら2012年発行のもので、情報が古いので失敗したな、と思いましたが、読んでいると基礎的なことは把み易いかな、と思いました。wordpressはサーバのなかで趣味でいじっているので。相変わらず、TeX関連書籍を探そうとしたら笑っちゃうくらい書籍が少なかったです。フォーラムへ行けってことかな……

 尼崎の方に帰ってきて、ガストで夕食にしました。


    

2017.12.24 Sontag - Party

 クリスマス会、というか忘年会です。
 いけがみさんが夜にきてくださって、Cさんと3人で食事をしました。尼崎はお刺身が旨く、安い。というわけで例年は鍋だったのですが今年はお刺身で呑みました。いけがみさんとCさんがふたりでビールのロング缶を8本空けて、刺身を三人で倒し(食べ尽くし、と云いたい表現)私はブランデーを殆ど2本空け、談笑し爽快な好い夜でした。8本並んだロング缶ビールの空き缶が清々しい。
 そう云えば初めてブロックで買ったお刺身を切りました。(これは卸すとは云わないですよね?)買い物に行ったらめぼしい切り分けたお造りが無かったからなのですが、大きな塊のお刺身を肉厚に切っても安くて豪華で良いものですね。

 クリスマスなので、Cさんの友人がやっているガトーショコラ専門店のケーキも食べました。宇治のCHOCO de NINMARIというお店です。宇治に行ったら寄ってね。

 ツリーは台灣っぽく、旧正月まで飾っておく模様。


 



   
  

    


   

2017.12.19 Montag

 8時起き。寝不足で心臓が痛いな、と思ったけれど高校生の頃はこういう痛みと眩暈をずっと感じながら通学の市バスに乗るべく駆け込んで息を切らしていたな、と思い出す。今になってそれが駄目なら、まあ、あの元気は若く強かったということだ。しかしその若いときにも週に5回保健室に運ばれる点で名を馳せていた。元気だったのか? 朝礼や式ごとは必ず倒れるから最初から保健室待機、卒業式も証書授与だけ頑張ってそっと講堂を抜け出して保健室にくるように云われていた。滞りなく卒業式を済ませる為には、生徒のなかに卒倒者が出てはいけないと前もって用心されたということ。まあ学校側の判断は正しいのだけれど。
 だいいち保健室に居過ぎたし、遅刻と欠席も酷かったので単位を取れていないまま卒業している(卒業と云っても良いなら)のではないかと疑っているのだが、私が通っていた女子校はそういう「落ちこぼれ」みたいな留年を発生させるくらいなら卒業に押しやったのだと思う。満点や最高点をいつも取っていた試験も、高校3年生の最後は、当日は欠席の追試で(追試だと配点は70%になる)その追試の小部屋で震えて泣いていたのでほぼ零点だった。単位が取れているわけが無い。日数や点数を誤魔化した学校を悪く云うというより、私はかなり憐れまれていたということで。

 大学生だったときは私の意識は更に曖昧になったので、私の学生時代は中高生で、高校の話がどんどん出てくる。だからガーリィって云われちゃうんだと思う。就職もしていないから社会人にもなっていない。少女かよ、32歳。

 クリスマスカードを投函したら、twitterのRTで、封書が届くのに「窓口で良くて年内と云われた」(コミケ搬入組はお早めに)という内容を読み、えっと思った。クリスマスカード、遅れるのでは。申し訳ない。解っていなかった。


 夜、甥のフォトアルバムをiPhoneアプリで作った。デスクトップアプリも入れているのだが、デスクトップで写真を整頓してiPhoneのひとつのアルバムに同期してから、iPhoneアプリで触ったらあっというまだった。これは1歳〜2歳までの甥。彼はもうすぐ小学生になるし妹も生まれたのでさっさとアルバムを作らないといけない。
 ひとつタスクが済んだな、と思ってtwitter文学フリマの広告をしようとしたら、知ったら悩んでしまう情報を目に入れてしまい、もう動きたくない。さっきまで1時間歯磨きをしていたし、今はMacに指だけ動かしているけれど、立ち上がりたくもない。早く眠るのがいちばんだけれど、着替えるも薬を飲むのも、もう立ち上がりたくないし30cmも移動したくない力の抜けた甘ったれになっている。今日はTLのフィルタリングに失敗した。

 自分がコンピュータだったら、少なくとも動かずにマルチタスクが出来る。機械なら良いのに。引き篭もり、出不精、と云うけれど、私は本当のところ、いつも1mも動くのも億劫だし1m動いたらそこから戻ってくるのが億劫だし、一応こう云うとなんだけど、頑張って動いている。少々支障はあるとは云え、自由に動ける身体を与っている人間なんだから普通だ。そして他の多くのひとはもっともっと身軽に動いている。尊敬するしかないし見習うしかない。本当に、行動が出来ない。
 もう3日ほどコンヴィニエンスストアに行けないでいる。


 甥っこの話は、我が子でもないのであまりwebに書いてはいけないと思うのだけれど、前に一緒にレストランで食事をしたとき、「〜〜くんは前は〜〜に住んでたよね。憶えてる?」と云ったら、「ぼく何でもおぼえてるよ。前のこと何でも」と返事してきたので、これはネタとしての話だけれど、あんまり幼い子どもがそういう云い方で発言すると、生まれる前のこととか話し出しそうでびびるよね、というのは時折Cさんと話題にしている。
 しかしそのレストランで私は甥と仲良くし過ぎて、別れ際に「バイバイ、またね、また遊んでね」と云っていたら彼は「うぇーんーーーー」と突然号泣したのだった。それ憶えてるかな?

 姪は発話するようになってから先日LINE通話をしただけで、まだ全然逢っていないので、早くいっぱい逢いたい。曽孫が出来た私の祖母は、私が幼児だった頃、私を構って遊んでくれたときのように、曽孫と遊び、若返っているような気がする。子どもを産むべきとかそういう話は全然賛同しないけれど(私も子どもは居ないし)この現象を見ると単純に、弟夫婦は孝行者だなあ、とか、思う。これが転じて転じて、結婚したら出産のことを尋ねる悪文化になってゆくのかな。もう本当に全部面倒臭い。

 昼休みのCさんと「世界はレイヤーだよね」「世界って本当まじレイヤーでしかないよね」と合意していた。
コスプレイヤではなく、layerです。

 ほら、動かなくても人生が進むからblogをだらだら書いてしまう。寝なくちゃ。そして起きなくちゃ。死ぬまでは生きなくちゃ。


 tolot.com


 上記のサイトからのiPhoneアプリで、文庫本サイズ(A6)フルカラー64頁、500円。両家の祖父母と弟夫婦に渡しても1500円。だいたい1年間の写真で1冊分にしていて、印刷も綺麗なのでお薦め出来ると思う。



 


 匂いを消してよ嫌われたくない
 あいつを消してもすっきりしない
 テレビを消したらちょいマシかも
 CRY
 あの時期に買った懐中電灯

 魔法が使えないなら死にたい(「魔法が使えないなら」大森靖子)

  消してよあいつを消してもすっきりしない消してよ私が消えてよすっきりしたい