薄荷塔ニッキ

飛び石を渉れない。

ヴァイオリンとフルート、電子ピアノ

 大叔父、という漢字はこれで合っていただろうか、と字引を捲っても確かに「大叔父」であった。小学生のときに【使える漢字は使って作文を書きましょう】ということは決まりになっていたので、「大お父さん」と書いたら、先生が赤ペンで傍線を引いてクエスチョンマークを付けられてしまった。意味が通らなかったらしい。まあ、「大お父さん」で「大叔父さん」とは気付かなかっただろうと、仕方のないことだと思う。「曾祖父」の「曾」に較べて「大叔父」は「大」である。もうちょっと何か対策は無かったのか?

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 大叔父は私にとても優しくして下さったひとでした。私の母が大叔父の姪なので、私は姪の娘です。それは遠縁と云えば遠縁ですが、しかし本当に優しくしてくれました。世田谷区に住んでいらっしゃいました。磯野家の一家が住んでいる世田谷区です。東京に住んでいると云っても、渋谷とか原宿とかは歩いている姿がちょっと想像出来ないひとでした。新宿西口も怪しい。しかし交通機関は利用するでしょうから、新宿駅はまあ、歩いていらしたことでしょう。

 大学に入った頃、中学生のときに書いた小説が文庫本になったら大叔父は丁寧に読んでくれて、そして京都まで来てくれました。「いずみさんとデイトをするような気持ちです」と云ってくれて、ホテルの綺麗な設えの部屋で、ソファに並んで写真を撮って貰いました。数日間で京都を私とふたりで小学校や中学、高等学校を見学する綿密な計画をきちんと紙に書いていらっしゃったのですが、大変残念なことに風邪気味の身体に京都の冷え込みがかなり堪えたようで、急な展開で東京に戻られました。そのときにはとても温かくて軽い、上等なものだと感じるたっぷりとしたストールを頂きました。カシミアでしょうか。母はピンク色を、私は水色を。おじさまの計画では逆だったらしいのですが、私と母がその順に開封したのです。でも母にはピンク色が似合うし、私は本当は、水色の方が似合うのです。運命みたいですね。

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 私の文章を読んでこの本を渡したい、と福永武彦の「草の花」を下さいました。古書ですが、と云われたのですが裏に値段のシールが付いていて、初版本だったのでその値段の桁の多さに私は恐れをなし、自分が読む分には文庫本を購入しました。おじさまは若い頃にサナトリウムでその本を読んだそうです。ショパンやバッハなどのCDも頂きました。贔屓にしているピアニストさんがいらしたのでした。綺麗な缶のお菓子も頂きました。舶来品、というものはああいう品なのでしょう。姪の娘、に、本当に優しくあたたかくして下さいました。

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 大叔父さんとお電話をするときはいつも少し緊張しました。5分にも満たない会話のなかでモーツァルト森毅に話題が飛躍するからです。そして、博識のある上品なひとの話し振りは、とても丁寧で穏やかなもので、横柄なところはちっとも持たないのだと私は学びました。

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 白血病とはそんな風に急に診断され酷くなるものだとは知りませんでした。酷く苦しく辛くされなかったら良かったのですが……私には知る術がありません。

 私の祖父(私の母の、父親)は、弟たちをもう亡くしてしまいましたが、お兄ちゃんとしてとても立派なんだと、見守り見届ける優しい兄として生きているのだと思います。祖父の姉も。それは恐らく、恐ろしくつらいことなのだろうけれど。でも私も長女なので、いつか来るそのときには弟たちを祈りながら見送ってあげたい。私が先に死んだら出来ないわけですが。



で、件の文庫本

夏の前、子どもの集会 (新風舎文庫)

夏の前、子どもの集会 (新風舎文庫)

新風舎はもう無くなったので、なんだか身に不相応なような値段が付いています……。

福永武彦「草の花」

草の花 (新潮文庫)

草の花 (新潮文庫)

    φ

 少し物事を考えて、「何々という病気になったの」と誰かが私に告げた時は、「どれくらいで治るの、」と尋ねるよりも「今は痛かったり苦しかったりする? 大丈夫?」と尋ねることにしようと思いました。

 色々と深く感謝をしています。個人のweb日記で書くのは変かも知れませんが、ご冥福を祈っています。

 という表現よりも、品のある人格になるとそれは善いことなのだろうと知れた、という記録です。