薄荷塔ニッキ

飛び石を渉れない。

Maidens

 過去にその日記が大好きだった、そのひとが、久しぶりに日記(ブログ?)を書いていらっしゃったのでとても嬉しかった。実に4年振り。そのブログに移転する前、その彼女も私もはてなダイアリーを使っていて、「はてな乙女」というクラスタに入っていた。「乙女リング」というはてなダイアリー機能のリングに入っていたり、twitterはまだあまり普及していなかったり、2ちゃんねるに「はてな乙女ヲチ」というスレが立って荒れたりしていた。ヲチャって何? とその頃ひとに尋ねて、watchersだよと聞いたけれど、私はまあしょうがないか……という感じで、はてな乙女たちは愛おしい日記を書いたりスイーツの写真を載せたり、手芸をしたりモレスキン手帖にコラージュを貼ったり諍いをしたりしていた。私も友人のことを日記で酷く書いてしまったりした(どうして口で話せなかったのだろう、酷い人間だった)。荒れたと書いたけれど、でも本当は全体に可愛らしかったな、と思う。

 はてなアンテナで大体のはてな乙女が把握出来て、日記に飛んでいっては楽しく閲覧していた。だから多くのひとが知っている女性ででも知らない女性で、そして今はもうはてなダイアラーはあまりいない。はてなリング機能は無くなってしまったし、私もはてなブログを使うようになった。はてなダイアリーはプライベートモードにしてメモを書き込んだりしている。はてなダイアリーに残っているひとも少しはいて、はてなブログに移行したひとと、公開日記を書かなくなったひとがいる。mixiやFB、twitterのみを中心にするようになったひとも。

 そう、あの頃は「ブログ」というよりそれらは「日記」だった。はてな乙女は大体は独身で、そして結婚してはてなダイアリーを書かなくなったひともいた。育児日記を書くひともいた。メンヘラ──現在で云う性格的なメンヘラではなく、精神科に罹っている軽度から重篤の、そして私もそのひとりだったが──もPMSの重さに悩んでいるひともいた。再度云うと荒れたりしたとか書いたけれど、でもなんだか可愛くて楽しかったな、と時々思い起こす。乙女、乙女っていっていた女子たちは一般的視線で見てどう見えるのだろう。ひとつ思うのは、あの文化はクリエイティヴだった、ということだ。素敵なものを素敵だと記述することの単純な必然性が生きていたように思う。現在のブログ文化は、何処かに所謂〈マウントを取る〉側面がある気がする。

 兎に角、読んでいるだけで幸せになる大好きなひとが──顔も名前も知らぬ女性が、ただ私にとって愛しい愛しい娘さんがいらっしゃることは知っている──4年振りに文章を認めていらっしゃって、私は眠れない明け方、とても幸せになったのだった。