薄荷塔ニッキ

飛び石を渉れない。

2017.07.18 :夢日記

今日の仕事

 編集している他作家と改稿について遣り取り。それから、尼崎文学だらけのフライヤーが届いた。

夢。

 18日1時に寝たら2時間後に目覚め、日中少し寝てしまって長くディープな夢をみるという、睡眠に関しては散々な1日だった。でも3時に起きたら、twitterで久々の方と対話が出来たのは嬉しかったこと。元気でいらっしゃって欲しい。

 長くディープな夢、というのは、先ず現実にはもう亡くした友人との交流。舞台は実家なのだがそれはアメリカの郊外の家のような作りで、そのうえ実在の私の両親とは無関係な私の親として設定された人物と、彼らが互いに重婚している家族が離れに住んでいる複雑な設定なのだが悲愴感のある家庭というわけでもなかった。アメリカ郊外式の家はちょっと楽しかったし、出てくるお菓子も米国っぽい。その家で、友人とお茶をしてお菓子を食べたりしている。

 脈略無く友人との話は終わり、その家で屋根裏のドアから数人が押し掛けてきてドアを割ろうとし、抵抗するものの、それは私がAmazonのクリックで何らか間違えたことが世界的条約に反した(生物の保存に関する条約。ワシントン条約的なもの? 勿論現実のAmazonではそんなことは起こらない、たぶん)ということの為だと知って心当たりのある私は折れる。彼らは遺伝子情報などの為に屋根裏から部屋に入り込んで家中を器具でスキャンし、結局父が私の分の罰金を払うことになる。私と友人との交流時期に合わせて夢のなかの舞台はティーネイジャの頃になっているので、父が3万円ほど私の肩代わりすることに話は纏まるのだが、起きてから考えると、世界的条約に反したくせに3万円で良いのか?(高く払いたくなかったけど。いや夢だけど)

 場面転換。

 やはり私は現実と同じように友人を喪っている日々を過ごしている。以前カトリック信者の親を持つ生徒が聖書や人権に関する書を読んだり祈ったり交流したりした「黙想会」の合宿所に、自分と他の友人たちとまた黙想会の同窓会に向かう。シスターがかつての黙想会と同じように付き添っているが、どうにも無能力で、引率者とはとても呼べない。どうもあのときのシスターとは違う人のようで、気分的に較べてしまう。そのうえ、何か歌を唄う現場になって歌唱力を使って歌うと、シスターはへなへなにしょげてしまう。たぶんジュリー・アンドリースの曲だった。

 合宿所はかつての清廉な祈りの家とは違い、ある種の宿泊施設だが到着した生徒たちは嬉しそうに待望のカラヲケルームに入る。が、そこはそこ「黙想会的な同窓会」なので、カラヲケで歌うような流行歌などは登録されていなくて、端的に云うと、しけた曲目だった。

 このままお喋りしているとシスターに叱られるんだろうなあ、というあの合宿定番の夜が過ぎ、朝、黙想会コースとは違う楽しげな合宿コースに同じ施設に来ていた友人が私を部屋まで呼びにきて、朝食の部屋へ連れていってくれる。簡易ながらビュッフェ形式で、レーズンパンをトースタで温めたりした。ほうれん草パンだったような気もする。胡桃パンもあったような……。

 場面転換。

 「手を洗うときに聖歌を歌いましょうと教会で帰るときに言われたので、僕と弟は帰って手を洗いながら『大波』を大声で歌っていたらお母さんに叱られました」

 というような文章(夢のなかではそれは本や紙に書かれた文字ではないのだが、文章であって、ト書きを読む感覚に近い)を読み、楽譜を捲る。これをいきなり大声で歌いながら手を洗うことにしたら叱られるだろうなあ、と思う朗々とし過ぎた歌である反面、こんな歌詞だっけ? と疑問を覚える。

 そこで目が覚めた。

 「大波のように」(現実では「大波」ではなかった)は現実には夢に出てきた歌詞とタイトルではなかったと思い出す。「黙想会」は実際中学1年のときに参加した合宿である。夢とは全然違うのだけれど、夢のなかの私はその体験の記憶を元に、シスターの引率に不安を覚えたり、カラヲケに何だこれはと思ったり、しけた曲目に、そうそう黙想会な場所だから仕方ないのよね、と感じたのだな、と思った。妙にカトリック的な要素が多分な夢であった。
 というか、一般の日本人のwebに「中学の頃祈りの家で黙想会をした」という文面を書き込むというのはどういう印象を与えるのだろう。私は世界三大宗教のうちのキリスト教徒の親の元に生まれたからこんな態度で生きているけれど、もしそれが人に訝しがられることがキリスト教より多い宗教だったら? と、自分がミッション系であることを公にする都度反駁してしまう。どちらも偶然その宗教の元に生まれただけなのに、私は態度がでかい、それは悪いことをしている、と思う。が、信仰心は、ある……。善人ではないので浅いけれど、ある……。

 亡くした友人は、夢によく出てきてくれる。淋しいよ、などと彼女も私も云うことは無く、哀しみの記憶として蘇ることも少なく、私と彼女は夢で逢うときは楽しく遊ぶことが多い。
 一度親御さんに「〜〜ちゃん、よく夢に出てきてくれるんです。笑ってます。『今は元気なの?』って訊いたときは『楽しいよ』って笑ってる」と云ったら、親御さんは「あの子ったら……そうなの、あの子ったら」と若干苦笑するように、でも微笑んでくださった。
 本当は、「出てきてくれる」のではなく、「私が夢でみている」のだ、たぶん、それが通常の認識だ。楽しいよ、と云ったのではなく、私が、彼女がそう発言する夢をみた、のだ。そう認識するべきなのだろうか? 本心を云うと、判らない。私が勝手に無意識下で、私を淋しくさせなく、悪いことをしたことにしなく、加工してしまっているのが、本当のことだというと、それはそうだ。

 朝、Amazon定期便の今月の注文から、キャンセルしたり個数や送付の頻度をを増やしたり減らしたりした所為で、Amazonをクリックしたら国際規約違反を侵したなどという展開の夢をみたのだ、という分析。なんとも単純な無意識である。

 

スパゲティ小説でも読もうよ。

(今日は朝食も夕食もスパゲティを食べました。バジリコのパスタソースは素晴らしい。私がみどり色のものを食べられるようになった大人になったことも素晴らしい。むかしは食べなかっただろう)

ゆで パスタ調理 ケース ベーシック キユーピー Italianteバジルソース 150g

(電子レンジのパスタ調理器、今までの熱湯を沸かし暑い暑いと思いながら何分間も茹で、熱い熱いと思いながら湯切りしていたのは何だったのか解らないほど便利です。私の場合電子レンジで水から沸騰させるまで電力を使うのは勿体無い気がするので、電熱湯沸かしで沸騰した湯で電子レンジで速攻茹でます。スパゲティ美味しい。村上春樹を馬鹿にするな)

カンガルー日和 (講談社文庫)

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カンガルー日和 (1983年)

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