薄荷塔ニッキ

飛び石を渉れない。

2018.02.20-Lesen

 

  • 陶古の女人
  • 蜜のあわれ
  • 後記 炎の金魚
  • 火の魚
  • われはうたえども やぶれかぶれ
  • 老いたるえびのうた

永い作家生活の中でも、ひょんな事から、妙にその作品が成功したとも成功しないとも限らないのに、頭にのこって自分だけがそれを大切にあつかう作品が二三篇はあるものだ、それを書いていた日とか、うごかない動機とかが一綴りの原稿のまわりにまで溢れていて、それを書くことや整えることも出来ないもやもやがあるものだ、人間がつくる霧みたいなものなのだ、凡そ人間の事で書けない筈がないのに、そのもやもやは書き分けられないのである。書くのに破廉恥な事とか、きまりが悪く、あまったるい事とか、文章には表現出来ない顔や性質とか、そういう種類の物が作家のまわりに霧や靄となり、もやもやになって何時も立ち罩めている。それらは或る小説の或る機会にうまく融け合ってくれるもやもやなのである。このもやもやを沢山持ち其処から首を浮べて四顧している者が、作家という者だと言えそうである。


「火の魚」がよかった。自分も仮にも『サカナのはなし』という本を記したわけだが、この掌編を読んでから書くべきであった。恥じた。