薄荷塔ニッキ

飛び石を渉れない。

20191016

 twitterで個の他人が嫌がるだろうことをおよそ2件したこの数日。反省はしていないが、何故自分(だけ)が槍玉に上がるのだろう、と思われたら、「文学という看板のもと理不尽がおこなわれていると感じるものが私の目に留まったから」という理由になるので、その点は伝えなければいけないのかなあと思う。私の目に留まった、は【私】が尊大なわけではなく、私のアカウントを触っているときに私の目に留まり、という感じの意味です(第三者の目に留まって私が行動するわけないので無駄だけど一応書く補足)
 罪だとは思わないので謝罪するとは云わないが、こういう経過でこう感じたのでございました、と記述するべきか迷っている。その記述でまた嫌な思いをさせるかも知れない(ただ、嫌な思いをさせることは絶対にしてはいけないという思想は私には無い)

 私も目に留まったらtwitterマーライオンのようにpostしているわけではない。
 そういうタイプの投稿は「おなかすいた」とか「空が綺麗」ということで投下している、マーライオン的なものは。

 若干別の話題へ。

 最近はtwitterの悪口を云っているひとをよく見掛け、自分が登録した無料サーヴィスに対して偉そうだなあと感じる。postが日常になるからなのだろう、FBはそれはそれで嫌っているひとがいるが、そういう嫌っているひとたちの根性とは相容れない。実害ある発言だと思う。有料サーヴィスを開設して自分のお好みにアップデイトしていくわけではないひとが、SNSは危うい! と云うのは、どうかと思う。ちなみにtwitterSNSではないらしい(何かの記事で読んだ)

 むしろtwitterが停止したら私は多くの友人との連絡手段を失う。私としてはその方が深刻な問題だ。きっととってもさみしくなってしまう。

 そういえば「あなたのtwitterはそうですか、ここはTwitterですよ」というリプライを関連して貰ったりしたが、苦笑も出来ない発言には、どうすれば良いのか。著名な方だと思うのだけど、そういうの関係ないんだなあ(風流)このひとの表記では「Twitter」で「ツイート」するべきなのか。とかもう追求したくもない。