薄荷塔ニッキ

飛び石を渉れない。

涸れた井戸

綻んだ目、ボロボロに

 毎晩のように泣いている。という表現をすると乙女語りな自分に浸った馬鹿娘のようなのだけれど、夜更けに泣いたり、夜明けに泣いたり、それはひと(っていうか、ひとというかCさんですね)に見られないように隠れているわけではなくて、Cさんの前でも泣いている。涙が出てくる理由は往々にして、今現実に自分の身に起こっている痛みや悲しみではなくて、物語や本で読んだことや昔々わたしなんて生まれていない頃のことが多い。

 数日前、Cさんに「ひとつだけねー」と何かの拍子に云ったとき、「ねえ『一つの花』って国語で読んだ?」と尋ねたら知らないというので、まさかそんなに大泣きをすることに発展するとは思わずにあらすじを説明した。一つだけの花をね、大事にするんだよう、お父さんはそう云って一つだけのコスモスを、ゆみ子に渡して、出征してしまうの。それからね、10年後には、ゆみ子とお母さんの家はコスモスの花でいっぱいに包まれてね(このあたりで涙がばんばん出てくるわたし)、でね、コスモスのトンネルをね、一つだけだったコスモスがね……いっぱいになってね……。いきなりその話をし始めてそしていきなりびーびー泣き出したわたしに、Cさんは少々あきれていたと思う。少々か大だい的にあきれたかどうだったのかはちょっと定かではない。

 それから、CさんとLAWSONにいった帰り道(何故LAWSONにいったかと云うと、わたしが夕食を作るのをサボったからだ)夜空を見上げて「飛行機だね」と光を指して云った。小さい頃、「おほし!」と云って夜空を指すと大抵は「あれは星ではなくて飛行機だよ」と正されたのを思い出した。それから、同じような遣り取りをしている親子を見掛けたときに「爆撃機かなあ」と云ったその子のお父さんのことを思い出して(この記憶はとても鮮明なのだけれど、あまり現実にあったことだとは考えにくい気もするのだが)わたしは夜空を渉る飛行機の光を見るといつも思ってしまうことを口にした。「何処の軍隊の……」わたしは無意識にそう続けてしまい、「あああ、真珠湾攻撃の日だ……」と云い始めまた涙が出てきた。Cさんはまたわりとあきれたと思う。前世か何かあるのか、わたしも我ながらなんなのだと思う。真珠湾攻撃のことを胸に留めることは悪いことでは全くないだろうが、そんなふうに思い出話のように悲しむ自分はちょっと周りを困らせる。「だって明日はパールハーバーだよ!」と主張して涙をぼろぼろ流して困らせる。

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 なんだか戦争のことが多いのでちょっと清らかな涙を流しているふうに書いてしまったので、こういうことでも泣く、というのを書き添えると、先日は高速道路のSAで白桃ソフトクリームが500円だったので泣いた。マスカットや牛乳あじは300円なのに、白桃ソフトは500円……。Cさんが奢ってくれると云って、そしてCさんが200円の差をケチったり文句をつけるわけは無いのに、どうしても500円……300円……と考えていると「マスカットがいい」と主張し始めたわたしは、Cさんが何度も「桃も好きでしょ、いいんだよ白桃でも」と云うので涙ぐみながら「マスカットがいいー!」と頑なに云い続けているとだいぶ涙が出た。なんたる、そしてちょっと複雑過ぎて奇妙な、幼稚っぽさ。岡山のSAだったのでマスカットも美味しかった。桃もたぶん美味しいのだろうけれど(だって桃太郎さんの岡山だし)マスカットも充分に美味しかった。なんで泣くのか、馬鹿だ。馬鹿だ……。

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 「二十歳の原点」を読んで泣いた(たぶん5度目くらいに読んだ)。
 連合赤軍永田洋子のことをWikipediaで読んで泣いた(何故わざわざWikipediaで広げるのか、という自問は解けない問題である)。
 フォーレの“シシリエンヌ”を久々に出してきて聴いたら泣いた。
 クリスマスに観に行った、或る男子校の恒例行事のタブローを、亡くなった方の祖母と観にいったときのことを思い出して泣いた。祖母がもういないことではなくて、タブローのなかで唯一華やかに歌と踊りが続く“リトル・ドラマー・ボーイ”の眩しさを思い出すと涙が出た。
 白昼社に提出された原稿を読んで泣いた(筆者はにゃんしー氏なので身贔屓っぽいけれど、身贔屓ではなく泣く原稿だった)。

 12日夜は、「きみを守るためにぼくは夢をみる」を読みながら後半ずっと泣いていた。いかんなあ、と読み終えてこの日記を書いている。本の方の感想めいたものはもうちょっと落ち着いて(明日かな)書こうと思うのだけれどそれよりも、「きみを守るためにぼくは夢をみる II」が横の棚に並んで待っているのでもう困っている。すごく困っているし、その帯に「第三巻2012年春発売予定」と書いてあるのでまたまた困っている。また泣いたりしたらどうするんだ。(誰がどうするんだ、と問われると謎ですね!)

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 泣くのは、嫌いだ。すごいしょっちゅう泣くのでそんな宣言をしても信じて貰えない気がするけれど、断じて嫌いだ。特に、いや白桃とマスカットの200円差問題は兎も角棚に上げるとして、自分の身にきちんと降り掛かっていないことの為にべそべそ泣く自分は厭らしいと思う。わたしの感受性は涙します、と世界に触れて廻っている厭らしい厭らしい自分であるような気がする。黒い涙。咽に流れてきてもにがい、黒い涙。全然、綺麗じゃない、汚い涙。ぼっろぼろとこぼしてみせる、感動出来る自分を溺愛している自惚れ心のような、黒い涙。

 しかしもっときちんと純粋なる感動というものはどうして得れば良いのでしょう。

 本当は、綺麗に生きたい、と願うことだって、もうそれは既に汚らしいと思う。


Δ 涸れる

 ところで、今京都に住んでいる方の祖母は、わたしの小さい頃からよく目薬を注している。何度か「あんたは泣くねえ、わたしはもう、涙が出ないのよ」と祖母は云った。「涙ちゃんと出ないから、目薬貰わんと、いけんのよ」と云って、日に数回目薬を注す。「いずみもそんなに無くと涙涸れるよ」と祖母は泣き虫のわたしに云った。あの祖母の点眼薬は本当にその、涙が涸れてしまって補給しているのだろうか(今の年齢になって思う言葉で云うと、ドライアイって奴なのか)どうなのか、わたしはとても不可思議に思っている。泣かない自分はちょっと便利だろう、とも。あんたは本当にいつも泣き落としのいずみちゃん、いい加減に止めなさい、とよく叱られたけれど、泣き落としがしたいわけじゃないので。いつも。


二十歳の原点 (1971年)

二十歳の原点 (1971年)

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 たぶん、あの眼をじっと覗き込んだらその深くたたえられた重みに、わたしはまた泣く。泣きたくない、と思いながら。