薄荷塔ニッキ

飛び石を渉れない。

高村暦『視姦』

 twitterの公式RTで『視姦』という本が、レヴューを書くという条件で発行日前に読ませて頂けることを知ったのでメールを送って拝読した。大変失礼ながら今まで著者の方のお名前や活動、HPなどは全く知らないでのうのうと過ごしてきた泉由良なわけですが、面白い本らしい気がするとちゃっかりアクセスするアンテナは健在である。“姦”という言葉に惹かれてくっついていったスケベというわけではないのですよ。

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高村暦『視姦』

『視姦』

 『視姦』の語り手は電車内で見掛けた相手を、「見る」だけに留めながら心のなかで暴いてゆく。犯す手順と思考の冷静さはcoolそのもので心地好い。あからさまな単語は極力避けるストイシズムが逆に行為を印象付ける。ぎりぎりまで削がれたものこそが一番の快感だから、『視姦』という本は全くエロティックではないのにとても色情豊かなのだった。生々しい肌色が蠢くだけの低俗な写真や動画や小説なんかでは欲情出来ない人間に薦めたい。

・この本を購入出来るのは、10月18日(日)文学フリマ
・サークル名『rg』ブースは B-21 / B-22
・著者高村暦氏のHPは 神矜返華
文学フリマって何? と思ったお行儀の良い青少年は検索してね……と思ったけれど一応公式webサイトはこちら 第十五回文学フリマ開催情報 です。入場料は無料なのだよ。


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 少々余談めく。偶然のように拝読する機会を得たわけではあったがこの本のようなものこそが純文学であると私は思った。最近出逢ったインディーズの小説のなかで、突出して“純文学”と呼びたいのは本作品だ。端正な文体と雑念の見えない文章。著者の私欲を感じない文章は美しい。文学の為に書かれた文章、それこそが文学(純文学)と云えるのではないだろうか。

 かわいくしたい、耽美にしたい、乙女にしたい、BLにしたい、エロにしたい、……そんな文章なら幾つも見掛けた。それはエンターテインメント? それが好きな読者と著者はそれで良いけれど、目当てがあけすけなものを見るのは疲れる。

 この作品と著者、素晴らしいじゃないか、と思ったと同時に、私は2度も文学フリマという会場に出向きながらも、怠惰ゆえにこうして良書を知らずに過ごしていたのだと内省した。宝石は光ってはいても、私の手元までころころとやってきてくれるわけではない。光っているものを見つけるためには私の足で歩かなければならないのに、怠っていた。ちなみに次回文学フリマ会場にも私は参上しないのだがしかし。だがしかし……。だがしかし……。買いたい本はあるのですよ……←東京行けよ。