薄荷塔ニッキ

飛び石を渉れない。

非公開記事

14日の明け方のtweetが下記。

 公開はされていないみたいです(非公開も削除も他人にしてみれば同じです)この遣り取りがあったので公開されたのだろうか、と黒崎立体さんのアカウントを見にいったら、変な人に絡まれた失敗はblogを消しても消えない、人にやたら噛み付く人間だから怖いよね、ブロックしているので見ていないんですけどね、とか書いてあって、ブロックしていないのに速攻リプライ頂いたのはエゴサーチのタイミングがぴったりだったのか、私はエゴサーチ能力が低いのでよくわかりません。

 webは簡単に削除や非公開が出来る。
 でも言葉を書いて残すという行為はそれの真逆だと思うし、webが無い頃の物書きの発表媒体は紙に印字することであって、それは焚書にでもならない限り残り続けるものだった。
 だから、私は友だちや知り合いとの軽口や所謂深夜の独り言tweetを消すことはどうでも良いけれど、物書きについての、詩人についての、同人に関わったことについての、言文は消して欲しくなかった。そういうものを消すひとは、結局ものを書くということを大事に出来ないということだと思った。webは簡単に非公開に出来るけれど、それでも今回は個人的には、作品を作るという行為に生きていないんだと感じた。ネットを媒体にして詩歌や小説に関わるひとと知り合えたことは素晴らしいけれど、ネットだから簡単に消せてしまうということは、やっぱり私にとっては、違う。文章であって、本と呼ばれるものに携わっている人間はそうではない。
 そして、この後、真剣に詩作について会話していたtweetを、他人に見られると拙いのでリプ消しますね、というDMを頂いて打撃が重なったのでした……。他人の目よりも私は、本の方が好きだし、書く人だと思っていたひとが、違ったときは悲しい。別に死後にまで自分の言葉が残りたいわけではないけれど、私は、自分がMacに向かっているあいだくらいは責任を持ちたいです。