薄荷塔ニッキ

飛び石を渉れない。

Rip van Winkle

 『リップヴァンウィンクルの花嫁』岩井俊二監督・2016


 『リップヴァンウィンクルの花嫁』をDVDで観る。
 あらすじはジェットコースタ展開過ぎるし、辛い部分も多いのに、優しくちいさいものを穏やかに掬ってゆく映画だった。

 

 黒木華という女優さんは、二十代なのに蒼井優の十代後半の面影があって、ガーリーな描写がとても似合う。ちいさくちいさく喋り、微笑み、くすんくすんと泣く彼女が、終盤荒々しいほどの号泣を見せる。
 綾野剛は最近知った俳優さんだけれど役柄に対してとても繊細に徹していると思う。なんの役でも出来そう。逆に、Coccoにあたる役はいつもCoccoのいつかの歌詞みたいな役柄の側面があってあまり好まないけれど、よく考えればCharaが演じたグリコだってCharaだった。SalyuSalyu名義ではなかったリリィ・シュシュは特殊。
 忍成修吾がエキストラ? と思ったけれど、勘違いなのか判らない。星野修介に似ている顔が一瞬見えたけれど、『リリィ・シュシュのすべて』撮映よりもう10年以上経っている。

 オリジナルサウンドトラックが殆ど無くて、“歌の翼に”が流れるところが懐かしくて痺れた。結婚式の選曲に式の定番曲がひとつも無いので気持ちが良い。

 ところで、本当にリップ・ヴァン・ウィンクルだったのは、誰だったのだろう? アーヴィングの短編小説の「リップ・ヴァン・ウィンクル」は兎も角、米語慣用句ではこの語は「時代遅れの人」「眠ってばかりいる人」という意味がある。ななみが作中、時代の慣習に流されるままになってしまうところや、真白がAV女優であると知って酷く戸惑い安室に電話で問い合わせてしまうところ(昨今、友人がAV女優だと聞かされてそんなに取り乱すものだろうか?)むしろ2016年トーキョーを記録したこの映画自体が、若しくは制作自体が、いつか未来に観たら一種のリップ・ヴァン・ウィンクルと云えてしまうのではないだろうか? それでも、今を切り取る。今のトーキョーの何処かで確かに起こったこと。それがこの映画なのだと思う。

 岩井俊二作品を普段からの《岩井俊二監督作品が好きだ》という気分よりも《この作品が好きだ》と感じた映画だった。