薄荷塔ニッキ

飛び石を渉れない。

Schluff

 読み初め。

 

二十歳の原点 (新潮文庫)

二十歳の原点 (新潮文庫)


 帰りたい、と思ってしまう。特に年の境目、ふし目だったから。
 懐かしく大切な書籍に戻っていけば、「おかえり」と云われずとも心は安まり、高まり、愛を感じ、呼吸が出来る。

旅に出よう
テントとシュラフの入ったザックをしょい
ポケットには一箱の煙草と笛をもち
旅に出よう

*1



 何故中学校1年生の学級文庫に、かなり読み込まれたこの本があったのだろうか。13歳の子どもたちに、担任の先生は読ませたかったのだろうか。ただ、私は、友だちが出来ずに孤独だった1学期の4月に『二十歳の原点』を読んだ。
 帰りたい。何処へ。実家ではない。宇部ではない。京都ではない。記憶へ。
 新しい本へ踏み出さない臆病者で、迎えてくれる読書に耽る。2日未明、湯船。帰りたい。帰りたい。帰る場所が欲しい。何処か帰る場所が欲しい。私の手帖でも、小説を書いている原稿用紙でも、MacBookでも、──最も必要とするのは、そこを〝帰り場所〟だと思う心持ちなのだ、と、平静にblogを書くと、それは、解るのだけれど。
 2018年。帰りたい、と思う読書で明ける。帰る場所が無いんだ。それだけは高野悦子さんも、同じように思っていたのではないだろうか。


 


 飲酒を控え(喫煙はしないので)ジンジャエールを立て続けにのんだ。この写真の翠の光はそれ。綺羅綺羅と──まったく、きみは硝子が好きだね──。

 16歳の高校生の遠足、「いずみちゃんは20歳にならずに死にそう。永遠の少女だから。って、ピストルで、バァーン!」ひとりの友だちが云って、みんなわぁと笑ったので私もけらけら笑った。もう32歳にもなれましたよ。あの頃の子、ひとりは19で死んだよ。


 中学1年、学級文庫を設置してくれた先生は、『二十歳の原点』やら何やらに並べて『ネズミくんのチョッキ』シリーズも書棚に置いていらっしゃった。まったくチャーミングな方なのだ。今は、中高の(一貫校なので)教頭先生になっていらっしゃる。「自分の担任クラスが持てないことがさびしいです」と年賀状だかメールだかに書いてくれていた。あのひとは私のお母さんだ。

 ねずみくんのチョッキ (ねずみくんの小さな絵本) また!ねずみくんのチョッキ (ねずみくんの絵本 3)l] またまた!ねずみくんのチョッキ (ねずみくんの絵本 7)


   

   
    
 
  

*1:ちなみに読書をするとこの死を絶筆に自死へ向かったかのように読めるが、この詩から鉄道自殺までには2日間、書かれていない時間がある