薄荷塔ニッキ

飛び石を渉れない。

xxxx!!

 具合を悪くして一日臥せていた。



 11月にイヴェントに出演した。瀧村鴉樹・にゃんしー・元ヤマサキみふゆ・泉由良がライヴで、これに加えて平川綾真智(何の役?)

 ライヴに加えて、文学極道出張ツイキャス、ということで泉とにゃんしー以外の3人になった的なことなのだが、警備面から文学極道という名前で何かするのを憚られることになり、ツイキャスも無くなった。(が、勝手に録画されてアップロードされた。著作権面でツイキャスライブに削除を要請して消して貰った)


 今までで一番最低な共演者だった。
 というより、今までにあんな厭な目にライヴ出演で遭ったことなど無い。

 翌日の帰り道の途中から私は声が出なくなった。生きていたくないと思うとそういうことから拒否が現れる。私の精神的弱さといえばそれはそうなのだけど、厭だったのは本当だし、酷いことをされたのはイヴェント前の遣り取りからずっとだった。


 今はもう暫く経った。何がこんなに苦しいのだろうかずっと悩んでいて結構答えが出てきたので書く。それは相手が下手だとか、私やにゃんしーの朗読を勝手に録画したうえに貶し言葉でコーティングするとか(単純に云って貶すのは元々の気持ちだったのだろうからどんなことをしたって結局貶されたのだろう)、イヴェントを文学極道の私物化にしたとか、会場での傲慢さとか、まあ色々腹は立ったのだけれど、つまりは結局、私やにゃんしーを、(ひいては主催側を)嘘をついてネガキャンしたのが重苦しい、ということだ、ということに落ち着いた。


「泉由良はバカ」と云うことよりも「泉由良は悪い奴で酷い。自分はつらい目に遭わされた」と第三者(この場合は主催、二次的にお客さん)に働き掛けることの方が、嘘つきとして悪が重い。それは私が嘘つきだから、何れが何れくらい痛い悪か大体解るから、そう云えることだ。

 昨今周囲を見ると「〜〜党だから付き合っちゃ駄目」「〜〜国人だから劣悪な労働条件でいい」「メンヘラだから死んでもいい」……そう云うことを平気で発言するひとがいて、それは本当に恐ろしいことだと思うのだけど、つまり一対一で云い合うよりも、第三者に「あいつは〜〜だからマイナスな存在だよ」と伝えるという態度は、只の貶し言葉よりもずっと凶悪で、この件ではそれが私の喉に詰まって最低な出会いに終わった。


「泉由良さんがこんな風に脅迫してきます、叱ってください。私は傷ついた」
「にゃんしーさんが私のことをこんな風にtweetしました。私は傷ついた。入院するかも知れない」
ツイキャスで『〜〜』って云ったと云われていますが、云ってませんよ」

 まあ彼らの文面は知らんけど事実としてあったのは上記のようなことで、私がライヴの翌日の帰り道になって失声症になったのも〝このタイプの嘘〟が溢れていたと翌日改めて知ったからだった。当日だけなら我慢出来たし、打ち上げは楽しかった(瀧村さんが隔離したので、文学極道関連のひとは本部の打ち上げに来なかった。有意義な詩の話をしていたのに残念)


 ネガキャンは兎も角、何故ばれる嘘をつくのか。「ツイキャスでそれ、云ってませんよ」と正々堂々と応答するのはもう闇と病みを感じる。その割にツイキャスのログはその回だけ非公開になったのだが、平川さんに関しては、いとも容易く嘘を吐くのが性癖なのか、だから救いようの無いツイキャスのゲスト即興朗読でもツルツルと褒め言葉を吐いているのか、只もうこれは嘘をつくことが精神病理に組み込まれているなら、これ以上は叩かない。自分でどうにかしてくれ。私は一生関わりたくない。

 瀧村鴉樹さんに関しては、「瀧村さんがツイートに傷ついて泣きついた、と云われたので」「???泣きついたりしておりませんよ」
(主催より「瀧村さんが……」と連絡が泉にくる)
「この会話はあとで公開しますので」
「構いませんよ。私は先程も申し上げたとおり、恥じる事も、間違ったことも申しておりません。ご自由になさってください」
(翌日主催より「瀧村さんが泉がメッセをtwitterに晒すと脅迫されたというのですがどういうことですか」と連絡がくる←構わないんじゃないのかよ)

 こういうパターンの繰り返しだった。
 イヴェント後はtwitterで、「泉由良と主催側は『お友達』だからそりゃあ瀧村の味方はしてくれませんよね」のような発言までして、主催の立ち位置まで否定して自分を持ち上げようとした。


 

 瀧村さんと元ヤマサキさんはふたりして、にゃんしーのtweetが虚偽だ、傷ついた、入院するぞ、どうにかしろ、とイヴェント開催直前まで主催に詰め寄っていたこともあり、しかし、複数の他者の目で、それが虚偽ではないことは確認している。元ヤマサキさんがツイ消しをしたのだと思うけれど、これも精神的にそういうことをしてしまうひとなのかとも思う。そこまでそうなら、もう、いい。

 つまり、他人を悪人だと第三者に密告することによって自分の立ち位置を確保しようとするのはとっても嫌らしく恐い術だし、史上最低の共演者でした。


 勿論この文章はそっくりそのまま、「泉が彼らを虚偽で悪いように書いて自分を持ち上げようとしている」という方式に当て嵌めることが出来る。勿論そういうことはしてないのだけれど、論法に当て嵌ることは確かに出来る。彼らを二倍濃縮悪だと思うか、私のことを三倍濃縮悪人だと思うか、それは自由だ。私は、悪業にも二倍濃縮があるよね、というその点がつらいのだと気づき始めただけだから。



 これで纏まれば良いのだが、ショックはもう一件ある。

 アウトプットしないと私はまた日々自傷してゆくだけだし、自分の腕の傷は減らしたいしここは私のメールアドレス(と有料コースの支払い)で所有している私のblogなので、また書く。