薄荷塔ニッキ

飛び石を渉れない。

月詠

 短詩会風翳の月詠や兼題、雑詠などが集まったので更新していました。
 例の、こういう働きをしたから記録することで元気を出したい、という記事。眠れなくてなりません。眠れないまま起きたり横になったり縦になったり(?)しながら、以前自分のサイトにデータベースを作ってインストールしていたwordpressを別のディレクトリに分けたりしました。レスポンシブデザインを作らないと、と思ってしまうと泥沼に入った気分です。

 fy-yi.tumblr.com

 tu-fy | 通風孔

 短詩会風翳

Schläfrigkeit

 朝、7時頃寝て悪夢多めで9時には起きる。
 夕食後少し眠くなって21時に寝て悪夢多めで22時に起きる。
 当然(でしょうか)22時に起きてまた健全な夜の眠りには就けないので、夜間起きている。というより、作業をしないと、という気持ちばかり昂ぶる。*1という日々です。つらいとは思わないけれど非常にうっすらしている。

 アフターダーク (講談社文庫)


    

*1:ワーカホリックなのかも知れない、無職のくせに。作業をしないと非常に不安定だ。

Blackjack der Liebe

 まあ、眠れないわけですが、仮眠をしたら近日のイヴェントの心配事ではなく、ブラックジャック先生の漫画を読むという夢をみました。ブラックジャックは「この世は絶望だ、何も希望出来ることなんて無い……!」と青い色の頁のなかで苦しみ、なかなか私の心とシンクロしたので(勿論原作にはそのような頁はありません)なかなか、あれは、良い夢でした。良い夢がみられる睡眠は幸せです。
「初恋はブラックジャック」と云って憚らない友人が何人かいたことを、私も漫画を禁じられていた家庭でほぼ最初に触れたのは『BLACKJACK』だったことを想います。
 ヒューマニズム溢れる感動展開の回も良かったのですが、結局はひとを救えず涙さえ零しながら机に手を叩きつけ、「クソッ! クソッ……!」と苦しむ先生と、陰で見守るピノコは、私の初めて出会った漫画としての青春でした。

 Black Jack―The best 12stories by Osamu Tezuka (1) (秋田文庫)

 
 最近下記のような、手塚治虫が描いたかのような線を再現した面白い漫画本が出て、感動を呼ぶ医療展開も無いこの漫画に深く感動を覚え、「ああ、私はただ、ブラックジャックにもっともっと逢いたくて仕方がなかったんだ」と思った次第です。この漫画、手塚治虫への愛に溢れ、かつ超面白くて、本当に良かったです。twitterブラックジャックのパロディを描いていて、手塚るみ子さんに見出された方の漫画です。
 


    

 偶々生まれた緯度・経度だけで、他人を憎んだり況してや国民性などという言説を聞きたくなかった。なんてエゴイストなんだろう。死ねばいいと思うものはあまり無いが、愛国心だけは死ねば良いと思う。郷土愛も、愛校心も、自己愛だろう? 自分の属性を、つまり自分を、可愛がり、可愛がって欲しいんだろう? 作家は、自分の感情を他人に伝える属性を持った人間のやることだ。つまり政治や国家、思想と直結する責任がある。
 お前も韓国や中国に生まれていれば良かったね。そんな可能性想定したことあるのか?

untragbar

 終戦の日、夫とふたりでカラヲケに行った(終戦とカラヲケは特に関係ない)。夫はコトリンゴのファンで、映画『この世界の片隅に』も観にいったことから、私が(偶然前日この日記で引いた唄である)「悲しくてやりきれない」を歌った。が、ちょっと、むっとした想いに駆られた。

 勿論私は『この世界の片隅に』を未見なので実際のところ何も云えないのだが、太平洋戦争の片隅に生きる女性の映画にザ・フォーク・クルセダーズのこの歌が使われるのはどうなのだろうか。サトウハチローはそのような意図を引く想いで歌詞をつけたのではないのではないかと思い(何しろ、叙情の詩人であり、「リンゴの唄」を戦時中に創って検閲不許可とされたひとである)、つまり私は、「この映画は良い感じに歌詞を利用したのではないか」という苛つきに駆られたのだった。コトリンゴのジャズ調がそれを加速させた(歌いたかったKOKIAヴァージョンはカラヲケに入っていなかった)つまり、戦時を描く映画に歌詞だけを都合よく利用されたように感じたのだ。それが厭だった。コトリンゴの美しいウィスパーヴォイスに感動したひとは多いだろうと思うけれど、そこにはコンテクストが無い。フォークソングとしての「悲しくてやりきれない」はここに無い。
 
 繰り返すが映画を未見なので私は何も云う資格が無い。ただ、『火垂るの墓』アンチが『この世界の片隅に』を絶賛するtogetterを読んでしまったりしたうえでこの歌詞を引いたと思うと、無性に苛立った。何が、どう、悲しくてやりきれなかったのだろう、何が、どう。(たぶん良い映画ではあるのだろう、またいつか観ると思う)

 
 アメリカひじき・火垂るの墓


 私は非戦の人間だ。そのことで、西成の呑み屋で喧嘩をしたこともある。そのときは酔ったおっさんに殴られたって構わなかった(夫に制止されてしまった)愛する者を守る為に戦うのはご立派だが、戦う相手にも愛する者はいるのだ。そのエゴイズムが気持ち悪くて堪らない。ただ、私のなかにもあるだろう多くのエゴイズムも、疎んじて堪らない。西成で喧嘩したからと云って、何処かでは降伏するかも知れない自分はエゴイストだ。自分がエゴイストであるという結局はそこに行き着き、それもまたエゴイズムなのだ。戦争、戦争、戦争。人間。どんな獣より下等な人間。それを私は、愛し合うしかない。

   

   

 

Leidenschaft

 情熱なんて単語を使ったら現代のひとは嗤うかも知れないが、どうにも情熱が足りない。熱意と云っても良いが熱意では、何かにつけ熱心に打ち込めばよろしいことのように思うので、情熱である。例えば絵の具を塗りたい。詩を書きたい。小説を書きたい。本を作りたい。写真を撮りたい。ものをつくりたい。デッサンしたい。デザインしたい。
 暫し沈んでいるときでも、英訳や外国語の習得をしたい。微積についてもっと知りたい。量子力学について知りたい。
 私は今までそういうことでばかり構成されてきた。夢しかみてこなかったし、逆に云えば欲求しなかったことはあまりしてこなかった。社会的ではないし良くない人間だ。でもちからなくなってしまうと、【悲しくて悲しくてとてもやりきれない】

白い雲は流れ流れて今日も夢はもつれわびしくゆれる
悲しくて悲しくてとてもやりきれない
この限りないむなしさの
救いはないだろうか


深い森のみどりにだかれ今日も風の唄にしみじみ嘆く
悲しくて悲しくてとてもやりきれない
このもえたぎる苦しさは
明日も続くのか

Fairy Dance~KOKIA meets Ireland~

Fairy Dance~KOKIA meets Ireland~


   

Traumgalaxie

 夢の話。
 短歌や詩歌、文藝の批評論についての問題論をレポート用紙に纏めて、そこにいたにゃんしーさんに観て貰っているうちに、人類の一種のひとの考え方への問題提起まで書き込んで、にゃんしーさんはそれを読んでふむふむとか云っていたけれど、肝心のその問題論や提起を、夢のなかへ忘れてきてしまったので、起きてからは何の得も無い。
 夢ではよかったのになあ。損だなあ。
 と、思うとともに、睡眠中も頭働かせまくりなんだな、と思うと、それはそれで問題である。


 また観た。

 

ユメノ銀河 [DVD]

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