薄荷塔ニッキ

飛び石を渉れない。

84の不要な追記

 84の他のメンバの方ごめんなさい、心配されなくても大丈夫です。

 黒崎立体さんとの遣り取りについて。TwitterとメールとBlog、どう見比べて書けば良いのか混乱しています。一時の怒りを浴びているだけ、と云えばそうだし、それでもそれは怒りなので応えるべきなのか。

 私には84に関して、誰が責任者だとかイニシアティヴを取るという考えは無かったし、だから発起人が誰だか大々的に示さなければならないという意識もありませんでした。立体さんは、立体さん(と私)の発言から始まった詩誌だ、ということを明記して欲しかったのだろうと思います。私はそういうことを書いて何の意味があるのか解せないし、誰が最初の発言をしたかよりもどんな詩が載っているかの方が詩誌にとっては大事なことじゃないですか。立体さんは兎も角、編集を兼任している泉由良は全員にこき使われるだけの存在でいいと思っています。

 誰の原稿が仕上がったかを他の執筆者に知らせるということは、編集側としてあり得ないので、原稿の進行具合を他のひとにも、立体さんにも、知らせることはしませんでした(立体さんが詩を書いていなかった場合プレッシャにもなり兼ねません)知らせて欲しかったですけどね、と云われましたが、それは編集人としてあり得ないことです。なんだか総て裏目に出たようですが、単に没交渉が悲しいことと、それでも頂いている原稿を見易い形で届けようと決めているのみです。メールの遣り取りをして、この一件でこの後一週間くらい声が出なくなるというカスのメンタルを晒しましたが、別に私は被害者じゃないし加害者でもない。被害者ヅラするのって楽をすることだから嫌いです。tweetやBlogはなるべく消さない主義です。だって無かったことにするのってせこいじゃん。

 黒崎立体さん、私はさみしいです。