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薄荷塔日記

飛び石を渉れない。

pasado

diary books

 

ちょうちんそで (新潮文庫)

ちょうちんそで (新潮文庫)


 月曜に出掛け先で選んだ江國香織『ちょうちんそで』(新潮文庫)を読んだ。

 久々の江國香織だった。
 昨今幾つか読んで嫌だった類いの江國香織のように恋や男や肉体関係に依存した小説ではなく、主人公が、自分の意識内に子どもの頃のことをきちんとつけていて(「子どもをつける」という表現は変なのだけれど、つまりその人からは子ども時代が永遠にひっぱがせないものであるので、そういう風になる)幾人かに過去があって(それが登場人物や場合によって忘却されたものであろうと、へばりつくものであろうと兎に角過去がきちんとあって)、単語や描写が丁寧で、かなしくて、そういう江國香織の本を一夜で読み終えるのは幸福で良かった。

 かつて江國香織を読むことはそういうことだった。と考えると、私にも子どもがくっついていることが分かる。十代の夜中にアイリッシュ珈琲もどきを暗い台所で作って、部屋に持ち帰って独りで時の経つ、新潮文庫の夜のことは、今よく分からない気分で過ごしている現実よりもずっと確固としている。

 一昨日、優れた文学だの売れているけれど良くない本が許せないだのというださい話題に返事をしていてしまって気分が沈んでいたので好ましい本を読めて良かった。


  del


 22日の夕食の時間の頃、夫が宮崎駿監督の話題に触れた。関連して『君の名は。』が出た。
 観ていないので良し悪し何も無いのだけれど、書店でちょっと流れていた広告映像で妙に泣いてしまいそうに咽がくるしかったことがある。新海誠自体に今は、映画のタイトルをここに書く為に検索した程度に興味は無いのだけれど、ただ映画を観たひとの「泣いた」というコメントも何度か目にしたので、人間の感情から涙を引き出すのが上手な、涙腺の蛇口の緩みの弱そうな部分を触るのが上手な作り手は、それは優れた制作ではないと思った。
 優れたというか、誠実というか、単純に云うと許せるというか。
 というわけで「新海誠はつまらないのでは」と云うと、夫が何だか忘れたけれど〈そんなら自分もやってみろ〉という意の新海誠の決め台詞を教えてくれたのだけれど、そんな他人の鼻腔の奥の粘膜を突つくようなことを自分もやってみせる気は無いと思う。
「泣ける映画」や「泣ける本」が欲しいひとは、何かに感動する自分を確認してみることで気分が良くなる性質なのかも知れない。そして「泣ける〜」はよく好評になるという仕組みかな、と思ったり。
 私はすぐ泣く人間で、今日も泣いたけれど、ただ、きちんとした感情で泣きたい。誠実というか、単純に云うと許せることかどうかというか。結局自分が自分を許せるようになるようにしようとしないとどんどん存えられなくなる。


  del


 何の話だっけ?
 つまりね、優れた文学を作ってゆかねばとかいう話題に返事をしてしまって沈んでいたのだけど、今日は読書が楽しかったよ。


 16くらいの夜に重なっていった、江國香織が過去として置かれている。
 夜と、アイリッシュ珈琲とセットになっているのは『神様のボート』や『流しのしたの骨』だ。ちなみにアイリッシュと云ってもざらめ砂糖は省いているので、偽物だ。
 『なつのひかり』や『きらきらひかる』や『すいかの匂い』やその類の頃はもっと幼かったから外は昼だったりしたし、読んでいた場所はピアノの下や市バスや図書室などで、周りに他人の気配がある。その中間くらいに『落下する夕方』は浮いている。
 それから、江國香織も他の著者本も、本屋で欲しい本の冊数と予算が合わなくて、それは「死ぬほど悩む」ことだったこともこうやって書くと思い出す。最初に学校の図書室で借りて、次に図書館で借りたこともあって、最終的には書店で予算に悩みながら自室で好きなときに好きなだけ読めるべく購入に至るそれらを思い出す。図書室の明るい窓。大型書店の夜。帰り道。どれも鮮明過ぎる。過去だけが鮮明過ぎて、現在時点に立つのが難しい。

   
 この話の結論は、今日この部屋で読んだ『ちょうちんそで』もまた(鮮明な)過去として置かれるのだろうということだ。自分から剥がれないものが増えていくことが、かなしくてくるしい。今は茫々としているのに過去になった途端に金属のような鮮明さに変わってゆく。

 
 

神様のボート

神様のボート

流しのしたの骨 (新潮文庫)

流しのしたの骨 (新潮文庫)

 
 
なつのひかり (集英社文庫)

なつのひかり (集英社文庫)

都の子 (集英社文庫)

都の子 (集英社文庫)


 『神様のボート』は持っているのは(前述通りお財布のそれで)文庫版なのだけれど、図書室で借りた安西水丸さんのこの表紙のストイシズムのままで文庫になっていれば良いのに。
 江國香織の文庫本の背は、断然新潮文庫集英社文庫が好い。書影をリンクしてもblogには表れないのだけれど、装幀の話というより兎に角、背の色について。

  
 

  

heartquake

diary

 甥と姪を、伯母なりに溺愛しているのですが、今日は姪の2歳の誕生日でした。人生初のチョコレイトを食べたそうです。うたた寝をしていたら、お誕生日を祝う写真たちがLINEで32枚届いたので少しびびりました。母はメール添付、それもzip書類に圧縮なんて知ったこっちゃ無いのです。
 私が初めてチョコレイトを食べたのは小学3年のときですから、彼女は既に私を超えましたね。甥は私が未だ飲めないコーラを飲むので、5歳と2歳が私を超えているという現実。しかし母(甥にとっては祖母)には「あまり幼児にコカコーラ与えるの止めなさいよ」と私としては忠告しました。心配性の伯母。


 午前中、兵庫県の震災訓練の通知がスマフォから鳴りました。ちなみに夫のスマフォは鳴りませんでした。同時に外ではごみ収集車が歌っていました。そんな人生をどう生きろというのか。とかいう文章を書いてみても、たぶん誰もどう生きろとも云わずそれは自分だけのことです。何かの為に生きると発想するひとが多いように観察していますが、結局は全て自分の為だと思っています。他人は他人で自由に考えれば良いので別になんでもないのですが。


 東日本大地震のあと、東海地方に住んでいた知人の態度が変化しました。彼女は東海地震を強く意識し始めましたと云い、そして私と彼女は変わりました。ひとは変わる。それをどうこう云う態度を取りたくない。でも、何かを恨めしく、思っています。


 などと。

 眠りたくて堪らないときと、眠れないうえに眠ろうという意識を持つことが出来ない(でも眠りたい)という日々です。ベゲタミンは製造中止になりましたし。先日ナヤモエコがベゲタミンを検索して「“飲む拘束衣”って書いてありますよ」とげらげらウケていました。私もウケました。夫もウケました。そんな調子で。今も眠りたくて眠りたいという意識を持てなくて逡巡しています。なうなう。


 チェルノブイリで「この野菜も汚染されているんだよね」と語り合いながら食事をするのもそれは現実そして未来だけど、汚染されて立入禁止区域になっている福島県の土地を改良する為の予算が今年くらいに案が立てられた?(ニュースは見ないのでソースはありません)らしいのはどういうことなのでしょう。原発の是非以前のことですよね。

 しかし。
 ブログに個人的なことを書いてもつまらないし、時事的なことに言及すると自己嫌悪に陥ります。あのひとのように綺麗なことを書けたらならば。そのような人格であるならば。


 

to U (Salyu ver.)

to U (Salyu ver.)

 
heartquake

heartquake


heartache'n heartbreak'n heartquake'n oh


ache'n days.


 

   


  

kyoto acjp

books diary TeX

 


 今日はオフだ! 大阪高槻のJT生命誌研究館に行きました。最初、研究所の方に歩いて行って、学者の方に会釈をされてしまいましたが、すみません、只の一般見学者です。進化についての展示を見ました。鯨さんとメールをしていたタイミングだったので、展示の中から、「鯨偶蹄類:鯨、カバ、牛、猪、駱駝」というメモを取りました。無料で展示を観て季刊生命誌92を頂戴して、中高でお世話になった生物の先生に、進化論の絵柄のトランプを買いました。ってプレゼントなのにブログに書いたら知られてしまうのでしょうか、それはいけないのではないでしょうか(でも書いた)先生は年始に賀状ではなく封書をくださったので何かあったのかしらと思ったら、「この便箋めちゃくちゃ可愛くないですか!!」という書き出しで、その女の子な可愛らしさが素敵でした。中学から色々と、色々とお世話になった女性の綺麗な先生です。しかし生物の先生なので、牛の目玉を120個(学年の生徒数)分ビニル袋に入れてバイクに乗っていたり、アフリカ爪ガエルを持ち上げたりもなさるのです。〈めちゃくちゃ可愛い〉便箋というのもプランクトンの柄でした。素敵。話が逸れましたね。

 

 それから京都に移転したカマタ店にゆきました。大阪の西淀時代のカマタ商店が、京都北区北大路に移転してカマタ店になったとのこと。北大路といえば育った町なのでめちゃめちゃ地元でした。実家に寄らずに帰ってすみません。

 メニュウを見て「FUKUREって何ですか?」とお尋ねしたら鹿児島のお菓子とのことで、オリジナルレシピなのかブランデーとラムの利いたとても美味しい一品を頂きました。車を運転する夫はアルコールを摂取出来ないので、悲しそうに悶絶していました。さらにFUKUREとベリー類とアイスクリームなどのパイサンドを。パイを焼き立てで出して下さるので、このパイが焼き上がるまでに一切れFUKUREを頂いたわけです。ブランデイを一杯のんで少しお話して、また来ます、とお暇しました。カマタさん製作の、「何処からでも履けるスリッパ」がお手洗い用に置いてあったので「すごいですね! 特許を取るんですか?」と感心しましたが、履いてお手洗いに向かった夫はよろよろしていました。でもどの方向から足を突っ込んでも履けるっていう画期的な……(たぶん)スリッパでした。

 美味しかったですね……カマタさんは相変わらず素敵な方でしたね……。

 

 その後、京都大学のカフェの階下の書店で買ったり買って貰ったりしました。 

[改訂第7版]LaTeX2ε美文書作成入門

[改訂第7版]LaTeX2ε美文書作成入門

 技術書は技術系職の夫に選んで貰った方が良いと思っていますが、興味の示し方や思考回路の楽しみ方が異なることがだんだん分かってきたので、どうなのでしょう。
 ちなみに私が惹かれたけれど買わなかった本はこれ。
PDF構造解説

PDF構造解説

 「こういう、動きの仕組みから納得すると、解り易いよね!」と云うと夫は「俺は先ずは分からなくても動けば良い」と云いました。だから彼の方が有能な技術者なのだと思いました。『数学的経験』が見つかったら、あわよくば夫が買ってくれないものでしょうかと思いましたが見つかりませんでした。悲しい。『不完全性定理』はありましたが買いませんでした。なかなかストイシズムを感じる装幀でした。
数学的経験

数学的経験

不完全性定理

不完全性定理

 不完全性定理については全くもって知らないのですが、何か私がある朝目覚めた瞬間夫に「にゃんさんの証明した不完全性定理の問題を私に教えて!」と口走ったらしく、私は不完全性定理について何も知らないのにどういう縁があったのか何を寝惚けたのか、要するに単に寝惚けて戯言を云ったという話なのですが一体何だったのでしょう(私は)


 尼崎に帰り、夜の不二家レストランで現代詩とはーーーあーーーー私も詩集を作りたいけれども泉由良は現代詩ではないのではーーーあーーーーで、現代詩って面白いのどうよ? あーーーー。みたいな話をしていました。詩集、作りたいです。とか云いながら帰りに不在配達通知の来ていた、短歌研究3月号を受け取りました。夫は「尼崎短詩会を作ろう」とか云い出したので、あまたんを結成します。尼崎在住は限らないらしい。

 

短歌研究 2017年 03 月号 [雑誌]

短歌研究 2017年 03 月号 [雑誌]


 詩集と云えば、生命誌研究館を入ってすぐ、「蟲愛づる姫君」というテーマで進化を表した展示があり、小倉拓也氏の詩集『火は綺麗』の冒頭の「虫愛づる姫君」の引用と彼の詩を思い出しました。無学ゆえ詩集を作るときに初めて読んだのですが、有名なものなのでしょうね。この古典と進化の体系図が巧みに組み合わさったパネルで面白かったです。館内は撮影出来ないのですが……

 

火は綺麗

火は綺麗


 2階は『エルマーと竜』のジオラマと進化の展示の組み合わせで、こちらも楽しみました。生命誌のバックナンバが貼り出されていて、その特集の年号から、私が前にここに来たのは1994年だと知りました。古代の琥珀の中に虫が閉じ込められていてそこからDNAを取り出したりする研究の展示で楽しかったのですが、1994年っていつだよ……何年前か理解出来ないよ、今になってまた行こうと云い出して、研究館は現存していて、そんな現実に驚嘆しました。驚嘆とはちょっと大袈裟で、要するに引きました。ドン引き!

 

 高槻でやけに綺麗などんぐりが沢山落ちていたので無為に拾い持ち帰りました。車を降りていきなりどんぐりに集中する自分32歳にも軽くドン引き! 高槻は高槻の、北大路は北大路の、百万遍百万遍特有の、そして尼崎は存分に尼崎の空気である、と肌で感じた日でした。
 また生命誌研究館行こっと。

 


  

tap-tap

diary


 眠れない、食べられない、外出出来ない、冷静になれない、という状況で、夫に「すみませんが1時間早く帰れますか」とLINEをした駄目な人間。であるところの私。というより最低限の冷静さが、連絡という手段だけを行使出来た。
 薬を変える為に一時減薬したので参っています。それから摂食障害とまではいかないのですが、私は元々、独りでいると何を食べて良いのか分からない面があります。自律しろよ! って感じですが、これでも高校を出てから数年間独りでごにょごにょ生きていたし、衣食住の補助をして貰う為に結婚したわけではないので、(夫に依存しているひと)みたいな風に蔑視されると憤慨してしまうのですが、頼ってはいますね……。そして助け合いとかそういうものがよく解らないので、申し訳ない・私はよろしくない・悪人である、と思います。認知か? 認知の歪みって語、ちょっと流行してます?

 夫に食事を買ってきて貰い、それとは関係無く予定通り通院。今日は医師が初めて私に医療的行為をしたのでびっくりしました。と云っても「セロトニン症候群かも知れません」と云ったら腕をコンコン叩かれただけなのですが。

 前に別件で「今まで一度もその質問をしたことないですよね?」と問うたら「一度もってことはないでしょう一度も!!!!!!」と激昂されたので、初めて医療的行為をされましたという表現も見つかったらぶち切れられると思います。精神科によくある話でしょうが、だっていつも前回と同じ処方箋書いたことしかないじゃんね。それにしてもリチウムを摂取している電池人間の私が「そろそろ血液検査で〜〜の値とった方が良いと思います」と定期的血液検査のことを提示して初めて「それは良いアイディアですね」とか云うキミのことなんて知らない。
 その、以前問い詰めた回の通院日は、診断書やらなんやら全部違うではないかと指摘した私と医師の対決のような問答の日で、診察室の外まで医師の文句と言い訳の怒り声は響き、私は醒めたツラして「そういう喧嘩みたいなの止めません?」と云い放ち、いつも口も利けないような容態の私が詰問対決をしたあと、翌日から数日間寝込んだのでした。何だよその被害。

 帰りにカマタ商店に寄ろうとしたら、もう暗くなっていました。夜になって仕舞いになったようです。残念。明日は京都のカマタ店に行きます。大阪のカマタ商店はカマタさんのお母さんが、カマタ店にはお兄さんご夫婦が経営していらっしゃるのです。

   

Maidens

diary

 過去にその日記が大好きだった、そのひとが、久しぶりに日記(ブログ?)を書いていらっしゃったのでとても嬉しかった。実に4年振り。そのブログに移転する前、その彼女も私もはてなダイアリーを使っていて、「はてな乙女」というクラスタに入っていた。「乙女リング」というはてなダイアリー機能のリングに入っていたり、twitterはまだあまり普及していなかったり、2ちゃんねるに「はてな乙女ヲチ」というスレが立って荒れたりしていた。ヲチャって何? とその頃ひとに尋ねて、watchersだよと聞いたけれど、私はまあしょうがないか……という感じで、はてな乙女たちは愛おしい日記を書いたりスイーツの写真を載せたり、手芸をしたりモレスキン手帖にコラージュを貼ったり諍いをしたりしていた。私も友人のことを日記で酷く書いてしまったりした(どうして口で話せなかったのだろう、酷い人間だった)。荒れたと書いたけれど、でも本当は全体に可愛らしかったな、と思う。

 はてなアンテナで大体のはてな乙女が把握出来て、日記に飛んでいっては楽しく閲覧していた。だから多くのひとが知っている女性ででも知らない女性で、そして今はもうはてなダイアラーはあまりいない。はてなリング機能は無くなってしまったし、私もはてなブログを使うようになった。はてなダイアリーはプライベートモードにしてメモを書き込んだりしている。はてなダイアリーに残っているひとも少しはいて、はてなブログに移行したひとと、公開日記を書かなくなったひとがいる。mixiやFB、twitterのみを中心にするようになったひとも。

 そう、あの頃は「ブログ」というよりそれらは「日記」だった。はてな乙女は大体は独身で、そして結婚してはてなダイアリーを書かなくなったひともいた。育児日記を書くひともいた。メンヘラ──現在で云う性格的なメンヘラではなく、精神科に罹っている軽度から重篤の、そして私もそのひとりだったが──もPMSの重さに悩んでいるひともいた。再度云うと荒れたりしたとか書いたけれど、でもなんだか可愛くて楽しかったな、と時々思い起こす。乙女、乙女っていっていた女子たちは一般的視線で見てどう見えるのだろう。ひとつ思うのは、あの文化はクリエイティヴだった、ということだ。素敵なものを素敵だと記述することの単純な必然性が生きていたように思う。現在のブログ文化は、何処かに所謂〈マウントを取る〉側面がある気がする。

 兎に角、読んでいるだけで幸せになる大好きなひとが──顔も名前も知らぬ女性が、ただ私にとって愛しい愛しい娘さんがいらっしゃることは知っている──4年振りに文章を認めていらっしゃって、私は眠れない明け方、とても幸せになったのだった。


    

pianoforte

Youtube music film books

氷のように枯れた瞳で僕は大きくなっていく
だれもよせつけられない異臭を放った宝石

 ピアノを自宅に置かなくなった母が悲しみのあまり入手した電子ピアノを、ピアノが自宅に戻ってきた母より借りてきた(ややこしいですね)私がへたっぴに弾いているので、コンヴィニで楽譜をプリントしてきました。コピー機のコンテンツプリントで400円前後で印刷出来ます。

 自宅のプリンタからでも印刷する購入方法があることと、コンビニで突然欲しいなと思ってもスマートフォンで検索しないとコンテンツ番号が出て来ないので、一応リンクを貼っておきますね。

 楽譜: 宝石 / タテタカコ : メロディ - ぷりんと楽譜
 楽譜: 宝石 / タテタカコ : ピアノ(ソロ) / 中級 - ぷりんと楽譜


   &


 「宝石」は映画『誰も知らない』という実在事件(巣鴨子供置き去り事件)をモデルにした映画のテーマ曲です。とても痛ましい事件と経緯だと思いながら、映画には平常ではない生活の中でもえも言われる柔らかな子どもたちの幸福感が映り見えて、このYouTubeに断片を編集されている場面だけでも泣いてしまいます。

誰も知らない [DVD]

誰も知らない [DVD]

「誰も知らない」ができるまで [DVD]

「誰も知らない」ができるまで [DVD]


 2014年、鳥久保咲人さんの同人誌のアンソロジーに、泉由良名義で同じ事件を題材にした短篇「氷雨の子どもたち」を寄稿しました。

あるアパートにて、

あるアパートにて、

  • 作者: 掲載順/秋月千津子,伽十心,泉由良,秋山真琴,未青藍,白河紫苑,久地加夜子,霜月みつか,秋山写,鳥久保咲人
  • 出版社/メーカー: 密林社
  • 発売日: 2014/06/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 

poetnote

books diary

 一晩で電子書籍は組み上がった。その一晩を過ごす為に何日間なにもしない日々を過ごしてきたのか、そういう無為なことが多い。それともそういう時間ののちにタイミングが訪れるのだ、と云ってみるのか。これは言い訳がましいだろうか?

 ポエトリースラムジャパンは一種のお祭り、お祭り騒ぎが終わったら日常に戻ってゆくようなひとが多いのかも知れない。何が詩なのかスラムとはなんだったのか感想を述べるのは発作的一時的なものだったのかも知れない。私はPSJとは無関係に日常的に詩のことは考えているので、(気持ちのなかでの)イヴェント時から日常に帰ってゆくということが解らない。そういうことでいいなら勝ったり負けたり笑ったりすることが一番大事で、詩はどうでもよかったのかな、上手く云えないな。ブログなのに上手く云えないというのはどういう無能だろうか。原稿を頼んだことについて少し揺らぎがある。
 揺らぎ。
 オープンマイクやライヴで詩を読んだら、名前の示す通りゆらゆらとした朗読、とMCが入ったことが何度かある。たぶん感想が無かったか感想が述べられなかったかどちらかだと思う。

 金曜に現代詩手帖が届く予定。
 図書館で借りようと思ったら蔵書に無かった。検索したところ全国的に、現代詩手帖を置いている公共図書館が少ない。何か理由があるのだろうかと考えてしまう。現代詩手帖を検索すると、Amazonより上位に思潮社が来る。こんな雑誌はあまり無いように思っている。
Amazonに無くても思潮社のHPから通信販売で買ってください」
 と、twitterにpostする詩集を発行したひとがいる。何か理由があるのだろうかと考えてしまう。詩集を出すに中って、詩原稿よりも予算を心配する詩人という層。芸術家にはギャランティが発生して欲しい。記念碑の自費出版は悪いことだとは思わないが、他人の思想や出版の社会に及ぼす影響としては如何なのだろう。

 兎に角、現代詩手帖を買いました。ダダ・シュルレアリスム特集だったのでまあいいかと思いました。来月号などは値段が跳ね上がってみるので買いたくないなと思ったりします。大学図書館にあるのかな。

現代詩手帖 2017年 03 月号 [雑誌]

現代詩手帖 2017年 03 月号 [雑誌]

現代詩手帖 2017年 02 月号 [雑誌]

現代詩手帖 2017年 02 月号 [雑誌]

 2月号も先日買ったのです。もう充分なお布施ではないでしょうか。ただ、投稿欄に古溝真一郎さんが掲載されていたので買って良かった、小川三郎さんの原稿も読めました。でも現代詩手帖で特集されていたボブ・ディランのことを深く読めた気はしなかったように思います。音源を買った方がましだと思うし、音楽誌や音楽批評書籍や、せめてノーベル賞に関連する文献の方が良かったのではないか、と。「何ヶ月前から特集を決めていたんだろう?」と夫に問いました。ちょっと苦笑していました。
 投稿欄がいっとう面白い。可能性の場と呼ぶのかな、それはどうか。3月号の投稿欄を見て私は如何思うのか怖い。5月〆(?)よく分かっていない面がありますが、投稿して2ヶ月後に掲載されているかどうか分かるという仕組み。3月(年度末)に送ったひとが載るのが5月ということか。700通も届くんだね700人も送るのか、と感心していたら、夫が、ひとりが複数送るんだよ、と云って、そういうことなのだろうなあとそっちに納得しましたが、複数投稿を嫌う選者もいると聞き、複数投稿したら一篇ずつの詩の価値が下がるわけではないのでそれは選者の氣分の問題だろうと思いました。不条理だし我儘で身勝手だと思う。数打ちゃ当たる為に複数の詩を送ったのか、何篇も詩が書けたから送ったのか判らないことはないのか。それらが総じて良い出来だったら、複数作同じ作者の詩を選べば良い。そういう掲載が出来ないと思い込んでいるのではないかな。全部予想だけれど。
 大体、現代詩手帖に関してこのへんに書いたことは全部予想です。想像です。
 書籍に払ったお金は詩人に還元されて欲しい。芸術家は仕事をしているのだから、仕事には支払いを。

 

火は綺麗

火は綺麗

 私は本当に絶対に、強く思う。文藝に還元が無いなら作家とは何だろう?

 

短歌研究 2017年 03 月号 [雑誌]

短歌研究 2017年 03 月号 [雑誌]

 短歌研究は尼崎市図書館に蔵書があったとのことなので、閲覧しにゆく。本当は現代詩手帖より短歌研究を買いたかった。自分のなかの予算に反している。ただ、図書館制度は有効なので、これは私が支払いを怠るとは考えていない。それから、珍しく書店店頭で探したけれど売り切れていた。
 馬場めぐみちゃんの短歌も掲載されているし、現代詩手帖よりも作品を多く読めるだろう。うーーーーん、どうしよう、と、こう考えて購入することを重ねてゆくと、以後書籍に掛けるお金と仕事の印刷費に圧迫が掛かる。それ知ってる。
 現代詩手帖を閲覧出来る場所を探すこと。というか、立ち読みして買うべきか否か検討出来るように書店に置いてある現場を探すこと。
 自分は自分で、無為に過ごす時間があるなら帖面に書きつけること。書くだけならいつまでも書けるのだから、今はまだ。
 そう云えば詩と思想の詩誌選出(?)を黒崎立体さんがなさっているという情報(未確認)ユリイカの4月号は大森靖子さんの特集だし、うーーーーーーーん、私は詩と思想も好きだし、また現代詩手帖よりもユリイカの方が好きなのでは。小倉拓也くんとお電話をしたときに現代詩手帖、と話した、その点だ……でもそれが大事だった……
詩と思想 2017年 03 月号 [雑誌]

詩と思想 2017年 03 月号 [雑誌]

ユリイカ 2017年3月号 特集=草間彌生 ―わが永遠の魂―

ユリイカ 2017年3月号 特集=草間彌生 ―わが永遠の魂―


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 なりたい。って何だ、という話題。なろうってネットスラングみたいに一部の層には通じる語があるけれど、あれも恥ずかしくて使えないな。

 

 色んなひとが読んでいるみたい、という恥ずかしい精神でこの本を買ってしまったのですが、《今すぐ歌人になりたいあなたのために》などというとても恥ずかしい副題が付いているのでちょっと困っています。そんなクィックリィな。インスタントを求めているかのような。書店だったら裏返しにしてレジに置くレヴェル。著者だったら付けたくないレヴェル。というか今すぐ歌人になりたいとは思っていないし、固より詩人になりたいとも作家になりたいとも画家になりたいともなんだともどうとも思ったことは無い。出来ることしかしない。呼吸したい、とか、のみものが欲しい、とかいう欲求しかない……って原始的だな。眠りたいとはときどき思う。眠気がきて欲しい、とは毎晩思う。電車に乗ったら楽な姿勢でいたい……原始的だな。心が原始に還る。心よ原始に戻れ。というのは歌のことで、私は人間が精神的に原始に還ってゆくイメージには嫌悪感を持っています。羊水が嫌いだからだ。
心よ原始に戻れ (高橋洋子 : オリジナル歌手) (映画「新世紀エヴァンゲリオン劇場版」より)

心よ原始に戻れ (高橋洋子 : オリジナル歌手) (映画「新世紀エヴァンゲリオン劇場版」より)


 3月5日、定型句・歌・詩の締切。
 3月31日、百人一首アンソロジー締切。
 自室でいっぱい絵を描きたい。少し片付ける。
 おやすみなさい。