薄荷塔ニッキ

飛び石を渉れない。

20191021


 キレられた……。
 最後のLINEはプレビューで「お別れ」とか書いてあったので読まなかった。

 理解あるカウンセラと面接出来て、病院ともそりが合うようで、就職していて、資格試験の勉強が出来て、カメラや画集を持っていて、あわよくば傷病手当か退職金で暮らしそうとtweetしたり考えたり私に話したりしながら、数年に一度外国へゆくの、けっこう良さげに思うよ。それ以上の代償を求められるほど私のことを妬まれても共感しないし、「つらいときだけ連絡してくる友だち」って本当に友だちだと思う? 私が夜通し相手しちゃうほど不眠症だし馬鹿だから悪いのだけど、「じゃあつらそうだけど私はもう寝るから」って云えないなあ。云えない。どうしたらいいん。でももうこのひとはキレたらしいです。

(と思ったら後日LINEの履歴が8月半ば以降消えたので、何を云われたかキレられたか若干憶えてはいるけれど履歴は全部消えた)

20191016

 twitterで個の他人が嫌がるだろうことをおよそ2件したこの数日。反省はしていないが、何故自分(だけ)が槍玉に上がるのだろう、と思われたら、「文学という看板のもと理不尽がおこなわれていると感じるものが私の目に留まったから」という理由になるので、その点は伝えなければいけないのかなあと思う。私の目に留まった、は【私】が尊大なわけではなく、私のアカウントを触っているときに私の目に留まり、という感じの意味です(第三者の目に留まって私が行動するわけないので無駄だけど一応書く補足)
 罪だとは思わないので謝罪するとは云わないが、こういう経過でこう感じたのでございました、と記述するべきか迷っている。その記述でまた嫌な思いをさせるかも知れない(ただ、嫌な思いをさせることは絶対にしてはいけないという思想は私には無い)

 私も目に留まったらtwitterマーライオンのようにpostしているわけではない。
 そういうタイプの投稿は「おなかすいた」とか「空が綺麗」ということで投下している、マーライオン的なものは。

 若干別の話題へ。

 最近はtwitterの悪口を云っているひとをよく見掛け、自分が登録した無料サーヴィスに対して偉そうだなあと感じる。postが日常になるからなのだろう、FBはそれはそれで嫌っているひとがいるが、そういう嫌っているひとたちの根性とは相容れない。実害ある発言だと思う。有料サーヴィスを開設して自分のお好みにアップデイトしていくわけではないひとが、SNSは危うい! と云うのは、どうかと思う。ちなみにtwitterSNSではないらしい(何かの記事で読んだ)

 むしろtwitterが停止したら私は多くの友人との連絡手段を失う。私としてはその方が深刻な問題だ。きっととってもさみしくなってしまう。

 そういえば「あなたのtwitterはそうですか、ここはTwitterですよ」というリプライを関連して貰ったりしたが、苦笑も出来ない発言には、どうすれば良いのか。著名な方だと思うのだけど、そういうの関係ないんだなあ(風流)このひとの表記では「Twitter」で「ツイート」するべきなのか。とかもう追求したくもない。

Read more

金原ひとみ『アタラクシア』

 

アタラクシア

アタラクシア

 Natashaに先週借りた本を読了。江國香織で云うところの『薔薇の木枇杷の木檸檬の木』みたい、と思いました。Natashaは自分のことを由依という登場人物(というか実質ヒロイン)に気質が似ていると思っているけれど、私から見たら似ていないな、とLINEをしたら、ひとが見る自分と自分の思う自分は違うよねーと返信がきました。
 正直、誰が誰タイプだというほど、人間を書き分けられていないというか、むしろそんな凡庸なひとたちがそもそもの人間群像なのか、兎も角、『蛇にピアス』や『アッシュベイビー』当時は「尖り」だったなあと考えたりしました。今はどうなのだろう。それは金原ひとみではなく、年齢を重ねる自分の問題としてそこにある。

 (蹴りたい背中蛇にピアスだったら、後者のがましだと思ってたよ〜でもこれふたつを較べること自体ちょっとださいよね〜)

 

蛇にピアス (集英社文庫)

蛇にピアス (集英社文庫)

 

薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木

薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木

薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木 (集英社文庫)

薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木 (集英社文庫)

 薔薇の木枇杷の木〜の方が、所謂「キャラ立ち」はしていると思うけれど、誰と誰とが不倫をしていて、その友人は誰と不倫していて、という感じの小説は、トランプ組み合わせていれば出来上がっちゃう気がするので、あまり技量が要らない種の本だと思う。
『アタラクシア』には東日本大震災の描写があった。東日本の作家の方が(つまり東京とかだ)震災を文学に織り込むことが多い気がする。川上弘美には驚いてしまった。むしろ阪神大震災後の文芸誌を読むには、私はまだ幼過ぎたわけで、だから比較は出来ない面もある。

 ○

 小説ではないが、短歌の世界では、震災後の歌という存在は大きい。京大短歌のような関西の短歌会でも、機関紙に確かに書き込まれていた。遠いからこそ出来ないことばかりある心、遠いところで怒張する何か、その詠草に揺さぶられる。