薄荷塔ニッキ

飛び石を渉れない。

可愛い空気

 どうしてここまでも長らく日記を書かないのだ! いや、感嘆符を付けてみても何の効果も無く、ものぐさ太郎であるということである。「ものぐさ」は今迄「物草」と変換するのだと思い込んでいましたが、今変換してみたら「物臭」であった。女の子としては自分を「物臭太郎」と形容するのは辛いものがあるので平仮名で表記してみたけれどその後このように漢字も記したので、平仮名にした意味なし甲斐なし効果なし。見ざる云わざる着飾るお猿さん。

 01月25日は防府に帰省したのだった。家人Cさんの実家である。尾道から防府へ向かう途中のSAでちょっと美味しいお食事を摂る。いつもはSAならばおうどんとかラーメンなのであるが、レストランっぽい所に連れていって貰ったのだよ。Cさんは牡蠣三昧のディナを召し上がり、私もとても美味しいものを食べたとは思っているのだが、ただ高速道路で少しうとうとしていたらいきなり食事に突入したため、記憶が定かではない。味は美味しかったという覚えがある。オムライスかハンバーグか、なんだかそういうものだったと思う。

 夜に防府に到着。Cさんが防府に住んでいた頃、彼の部屋であったところにお蒲団を敷いて頂いていて、それから可愛らしい部屋着を私の為に置いて下さっていた。世に云うお姑さんであるところのお母さんは優しく色々下さって、いつも感謝してばかりである。毎年冬に帰省するので、ふかふかしていたりもこもこしていたりする暖かい部屋着やガウンを頂いている。それらはいつもピンク色で、お母さんはピンク色が好きなひとで、そしてピンク色が似合うひとである。女の子が何人もいるお家は、矢張りというか、其処此処と可愛らしいものがある。それが素敵だ。京都の私の実家も飾り付けの設えで云えば相当に可愛くあるべき病という疾患に罹っているように可愛らしいが、防府のお家は“女の子たち”を感じる。私の実家は可愛いけれど、弟2名がかつて居た空気がそこはかとなく確かに残留している。防府のお母さんは孫がいるので、祖母であり、お姉さんと妹ちゃんはふたりとも母であるが、それでも女の子たち、を感じる。Cさんの持つ空気が可愛い感じなのは、こういったことが要因なのだと思う。可愛いは正義。

 しかしあまりそういうスウィートでないことがあって、私は可愛らしい部屋着を綺麗な包装から出さないままセブンイレブンで購入してきた飲料各種を口に運びながら原稿用紙を前にぼそぼそしていたら夜は明けた。“女の子たち”の空気を感じる家なのに、私は残念パーソンであった。徹夜してしまう時点でもう失格なのだと思う。