薄荷塔ニッキ

飛び石を渉れない。

『ηなのに夢のよう』より

ηなのに夢のよう DREAMILY IN SPITE OF η (講談社文庫)

ηなのに夢のよう DREAMILY IN SPITE OF η (講談社文庫)

(ネタバレ的なものはありませんが、続きを読む仕様にしておきます)



いつも思い出すのは、もっと昔のことだ。
ずっと昔のこと。
みんなが生きていたときのこと。
自分はまだ子供で、父も母も若かった。
父は優しく、母は美しかった。
すべてが誇らしかった。
それは楽しかった時間が、ただただ思い出されるだけだ。
今、父と母が生きていたら、なんて考えない。

 すべてが誇らしかった。の部分の極まり。子供時代の彼女は、「すべてが誇らしかった」のだ。


別れは毎日ある。生命は刻一刻どんどん入れ替わっている。人間よりも、もっともっと短い時間しか生きられないものが沢山あります。今鳴いている虫は、もう明日は死んでいるのよ。それが虚しい? でも普通のことでしょう? とても経平和で、穏やかなことなんです。

たとえばね、立っている場所がもうすぐ崩れ落ちるというとき、崩れるぎりぎりまで待つ人と、自分からジャンプして落ちてゆく人がいるんじゃない? それだけの違いでしょう? どちらも生きたのです。一回生きて、一回死んだのです。同じじゃあありませんか?

 本当にこの辺りは痺れます。



「いい子ね、待っていてくれたのね」(中略)
「大丈夫よ、うん、もう良いのよ」


 大丈夫よ、うん、もう良いのよ。
 なんておおきな言葉なのでしょう。