薄荷塔ニッキ

飛び石を渉れない。

白倉由美『やっぱりおおきくなりません』

やっぱりおおきくなりません (徳間デュアル文庫)

やっぱりおおきくなりません (徳間デュアル文庫)

 再読。メフィスト誌で突きつけられた「やっぱりおおきくなりません」の終りに打ちのめされて泣くことも出来なかったときから、この文庫を手に入れるまで長い長い時間があった。本心を云えば、もっと早く書いて欲しかった。……でも発行されないよりはずっとずっと良かったと思う。『おおきくなりません』を読んでから「私はおおきくなれないの」と主張することを覚えた友人に、麻巳美が迎えるこんな物語を教えたかったし、そうすることは叶わないまま『おおきくなりません』を彼女に貸した当本人は私である、ということは、すごい、もう、どうしようもない。それだけがあの子が逝ってしまった理由では勿論無いだろうし、結局のところ本人が持っていた問題だし、そして本を貸し時間を共にしていたという一連の事実くらいで友だちの生死のことに浸ってしまうことは冒涜だ。……けれど、「人生は色々だし生き死にも人それぞれだから」と云えるほど、私はそのへんのおとなじゃないし、そうして居たい。おおきくなくても大丈夫だよって、誰かに云えたら、何かの代わりになれるのか。いやなれないか。でも生きていると、続編が読めた。それは事実。

 麻巳美が旅行する台湾に、今、自分は住んでいるという理解出来ないこと。私は本当は、生涯京都の片隅で終わるんだろうと思っていた。

 以下抜き書き。畳みます。

「山を?」
 月哉さんが驚いたように声をあげた。
「はい。私、原住民です。霧社出身です」
「え?」
 『原住民』、という耳慣れない言葉に私はとまどった。それってなんか失礼じゃないの、と私は思った。
「霧社出身ということはあなたはタイヤル族ですか?」
「そうです。タイヤル族です。老人たちはセイダッカと自分たちのことを呼びます」
 原住民とはなんのことだろう? そして月哉さんは何故、山、という言葉仁驚いているんだろう?(後略 / 171頁)

 その時だ。
 ハモニカの音色が遙か遠くから流れてきた。私は耳を澄ませた。その旋律は「赤とんぼ」だった。
 心を解き放つような、懐かしい旋律。
 でも。
 ここは何処?
 日本と台湾の間にはなにがあったの?
 日本がいっぱい零れている。
「篠野さん、ここは海の底のようですね」
 ハモニカの音色が響く中、花蓮さんはぽつりと言った。(183頁)

「それは自分で知らないといけないよ。僕達の家の地下室の書庫にも、そのことを書いた本が何冊かあるはずだ。麻巳美、君は自分にとって、綺麗なものや、甘いものに囲まれて、それだけで満足してしまうところがある。確かに麻巳美の世界は美しいものでいっぱいかもしれない。でも君の世界を一歩でも出た外の世界には、君の甘い認識だけでは計りきれないものがある。君はそろそろ君の小さな世界から足を踏み出して、本当に大切なものを知る時が、訪れつつあるんじゃないかな」
 私は言葉もなく立ちつくした。
 私は、ちいさい。
 おおきくなれない。
 なにも知らない……。(186頁)

「今日はチャイニーズ・ヴァレンタインなんです」
 屋上の柵に凭れ、花蓮さんが星を見上げて言った。
「チャイニーズ・ヴァレンタイン?」
「日本では冬ですが、台湾では旧暦の七夕の日がチャイニーズ・ヴァレンタインです。恋人達の日です。チョコレイトや花束を贈ったりして、夜中まで街を散歩します」(202頁)

 ああ、また月が私をみている。
 淡く、優しく、清らかな光が私の髪や肩に降り注ぐ。
(中略)
 月哉さん、私は元気だよ。私は月哉さんに買ってもらった黒いジャケットと膝までの暖かいスカートに編み上げの靴を履いて、遠く遙かな旅に出る。
 おおきくなるために。(215頁)

 波はおおきくもたげる時は青なのに、砕け散る瞬間はどうして透明な碧になるんだろう。(268頁)

「そうだなぁ、でも僕はいつもおおきくなろうと努力している麻巳美が好きだよ」(295頁)