薄荷塔ニッキ

飛び石を渉れない。

You are gone.

 詩人の吉野弘氏の訃報を知る。1月15日、享年87歳。

 twitterに(私の周りにはラジオ・新聞・TVが無いので世の人々の声はtwitterである)「I was born」の文字がちょくちょく流れて、自分があの詩を初めて読んだときの所感を思い出した。それは反感だったり、素晴らしい詩として提示された詩に反感なんか覚える自分の居心地悪さだったりした。でも、小学5年生のそのときの私は、be動詞+p.p.が受動態を意味するということを知らなかったし、わざわざ印刷してきて生徒に読ませた担任は折りにつけ命の意味がどうこう障碍者の心がどうこう云うくせに、保健体育の時間には何処か緊張していて、男子がひとこと「セックスやん」と私語を放ったら激怒して私たちは怒鳴られたので、だいぶ悪いイメージになってしまっている。*1
 それでもこの日の夜「『I was born』は駄目じゃないかな?」と家人に云ったら、家人も一通り読んでから、同意した。だよね。ですね。といった感じで。色々と挙げた点はある。

 吉野弘さんの詩は色々とても真に迫ってくるから、「I was bornのひと」という認識も一部にはあるのなら、なんだか勿体ないような気分になった。私も全部の詩作品を読んではいないけれど。「夕焼け」という詩に浮かぶ感情は「 I was born」 よりもずっと生命だと思うんだ。

やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。

吉野弘「夕焼け」より一部)

 あと、命の価値の教育至上主義学校教師は、あとで生徒が命についての話に嫌悪感を持ち始める芽を植え付けているので、反省して下さい。嫌悪感は拭ってもその教師のことは今でも好きになれない。結局のところ人間への嫌悪(憎悪??)を教え込まれちゃったぜ。

 blogにご冥福とか合掌とかは書かないんで、すみません。

*1:ちなみに、私が「I was born」は然程良くなくない、と思う一因にも、この詩のなかの性の不在があります。