薄荷塔ニッキ

飛び石を渉れない。

皆既月蝕

 夕刻うとうとしていたら家人Cさんが帰宅して、随分早いな、と思ったら屋上にカメラを持ってゆくとのこと。何事ぞと思ったら月蝕の日でした。

 屋上から見上げる空は雲が多く、そして街の明かりで空が照らされていて月の姿はありません。他の上がってきたひとたちに「メイヨー。メイヨー(無いっすねー!)」と云ってCさんに撮影されたり夜景を撮ったりして、ふと見上げたらいきなり月が出ていました。メイヨーって云って帰っていったひとたち、ごめん、と思いました。家人Cさんはカシカシと豪華なカメラで天体写真を撮り、私は自分の古いcanonのixyで撮ったりiPhoneで撮ったりただ眺めたりしました(持ち物のixyは旧型の安いものですが良いカメラで好きですし、又、昨日の記事に書いた写真家の藤崎健太郎くんがISOの調整を少し教えてくれたので私には大変な宝であります)

 ただ、ただ眺めたと云っても視力の下がった今の私の裸眼には、月の輪郭が明瞭に判りません。これは大変哀しいことです。私にとって年をとることは満月の真円が暈けてゆくことなのかも知れません。目は九歳から老化すると聞いたことがあります。眼が老化することよりも、月をもうずっときっと一生、くっきりと視られないことがとても哀しいです。そのような心持ちを持たせてくれるのも、月だから、と思うと美しい存在だと想いもあります。

 星を見上げるover the thirtyのCさんも少年のように好奇の心をしていました(しかしカメラ装備は大人なんだから狡い)

20141008 20141008