薄荷塔ニッキ

飛び石を渉れない。

へらへら遊んでた人間が、努力してのし上がった奴に負け惜しみ言う資格あるのかよ?

 再々読。『ダンボールハウスガール』の著者、萱野葵さんの別名で書かれた小説。

 中学生のとき同級生を殺して少年院に入っていた妹のくるみと、両親を早くに亡くしている為くるみの起こした事件の賠償金を支払い、出所してきても働こうとしない妹を養い、ふたりぶんの食事を作り、教師として働く姉のまりもは、妹が逮捕されるようにとせっせと働きかけている。センセーショナルな雰囲気の表紙よりも、これはずっと繊細な人間についての小説だ。まりもは、自分無しでも妹が生きてゆく環境──それが刑務所のなかでも──を求めたのではないかと思う。

 暖房費の節約のために、冬の夜は抱き合って眠った姉妹。殺人犯の妹を抱き締めているまりもと、眠ったまま時々うっすらと涙を流すくるみ。不幸という単語が憚られるような麻痺したまりもの痛み。なんとかもう一度くるみを送り込めたら。まりもはモノローグのなかで願う。

恐らく自分の心だけはガラス細工で、他の人間の心は泥の固まりなのだろう。(p.158)


「努力した奴が認められて何が悪い? さぼってた奴がおちぶれるのは当然なんだよ。へらへら遊んでた人間が、努力してのし上がった奴に負け惜しみ言う資格あるのかよ? 学歴社会はすばらしいんだよ。必要ない子供をざるの隙間から零していくからな」(p.163)

 へらへら遊んでいた人間が、のし上がった奴に負け惜しみ言う資格あるのかよ?

 中学生のときに殺人で逮捕された妹くるみの賠償金の為に働く“健気な教師”のまりもが、道端で喫煙している未成年の女子を打って云い放つ頁を読みながら私のなかの澱が飛沫を上げて、どきどきする。闇が揺れて興奮で顔面が冷える、目の前が遠くなる。表紙のキャッチーな感じと内容の差が深いです。