薄荷塔ニッキ

飛び石を渉れない。

8月6日8時15分

 ヒロシマへと黙祷を捧げる日、8月6日。正確に云うと今は台湾にいて時差があるのできちんと黙祷出来なかったのですが。

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 広島カープの今夜の試合はピースナイターって呼ぶんだよ、と云って家人Cさんは出掛けてゆき、夜に「カープ、勝ったよ」と知らせる為にわざわざ電話をくれました。勝たないといけないわけではないけれど今日は勝って欲しい日だったな、と思いました。Cさんはカープファンなのです。それは球団の無い山口県出身だからというだけではなく、焼け跡に作られた広島市民球場は市民の希望だったから、と彼は云います。市民に支えられている球団というのは他には無い……のかな、私は殆ど野球についての知識が無いので違うかも知れない。今はカープの球場は、市民球場からズムスタに変わりました。

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 中学校の修学旅行の日程に平和記念公園が含まれていて、その数年後Cさんともう1度一緒に行きました。広島平和記念資料館で私は悲しい痛々しい写真や資料を凝視しながら歩き、その後Cさんを探すと彼は復興してゆく広島の姿についての資料をじっと見ていました。慰め祈ることによって完全に癒える痛みなんていうことは、無い。けれども、祈りを送ることの出来ない痛みは無いと思います。