薄荷塔ニッキ

飛び石を渉れない。

恣意セシル『この命をくれてやる。』

 突然変異の毒蜘蛛によって一度脳を冒されると、定期的に人を殺さなければ生きてゆくことが出来ない病の発生した世界。

 鴇子はその病「カーリー」に陥った恋人、賢治を匿っている。戸籍上消えた存在として、賢治を匿いながら生活の為身体を売っている鴇子は、あるとき妊娠したことに気付く。

 命を潰さなければ死んでしまう賢治、赤子の命を胎内に、賢治の命を両腕で護りながら鴇子は揺れる。何故殺される生命と殺してはいけない生命が分けられるのか? いや、それは選っても良いのか、それを秤に掛ける資格など、人間は持っていないのではないか?──臨月が迫っている。賢治を匿える日々の終わりも、来てしまうの……だろうか?


 著者は鴇子の迷いに、未だ決定的な回答を見いだしてはいないだろうと感じる。でも、問うこともなくニートリィな人間より、もがく姿は美しい。問い掛けの波が寄せては返す水辺で、著者の筆致に近付いて欲しい。昨日動物の肉を喰らったひとも、近いうちに誰かを亡くすかも知れないひとも。

 この真摯な迷いに苦しむひとを、私は、人間だと思う。

 物語の最後に残されるのは答えでも希望でも絶望でもない。

 鴇子、そして賢治の、心だった。

 しかし問い掛けや迷いで誰かの心に重しを引っ掛ける本ではなく、単行本1冊になりそうな物語を、十月十日で疾走する文章は、確かな読書の快楽でもありました。


 

 一昨年よりも昨年の作品が、昨年よりも今年の作品が、攻めている。恣意セシルは、進化している。知人としてのよしみで云うわけではない。彼女は何処までゆくのだろう。

 文学フリマにて販売される予定の恣意セシル作品『この命をくれてやる。』、他既刊、ブースナンバは【B-21】ブース名は「35℃」です。



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 ほか【B-21】に昨年発行したzine「ゆらし、」の増刷分があります。恣意セシル×泉由良、のノスタルジスタな夏の一冊。牟礼鯨氏に感想を頂いたのを、こちらに貼りますね。これ、昨年、買い忘れたよっていうtweetを幾つか見ましたので、もう忘れないでどうぞ。あなたがうまく思い出せなくなった夏が、ここにあります。

 その他、「ゆらし、」続号も置かれる予定です。ちっちゃいめなのでこちらはフリー配布。ここから始まる物語の小さな予感の小さな冊子。セシル氏撮影の表紙が美麗です。