薄荷塔ニッキ

飛び石を渉れない。

 今回は変形ヴァージョンだったけれど、男への肉欲の為に女性の知人友人との関係が壊れるというのが物凄く苦手だ。なのに私の人生にはかなり多い。(要因は一部は私の方だということも知ってる)

 20代前半、又は年齢を偽った10代だった女の子たちが、DVや家出から行く場所を探して風俗店で働いていたことを知っている。複数人知っている。肯定する現実ではないが、現在もああいう女の子たちがもしも職場にいるとしたら、30歳既婚性欲旺盛な女性がどんな風にその子を踏み付けているんだろうと思う。18歳だった友だちの無垢で茶色く澄んでいた瞳を思い出すと何度も涙が出る。砂利のあじがする。せかいが嫌いだ。

 当てつけだと云われるのは兎も角、自己顕示欲ではなく自分の為に書くので、以下はフィクションノンフィクション(適当に単語を作った)ここは日記なので日々起きたことを書く。

 同じ詩誌に書いていたりライヴをしていたひとが、なんかtwitterで物語始めたので、見ていてしまった。見なければ良かったのだけれど、友人だからなあと思っていたことと、それから、わざと見ないようにする努力って難しい。取り敢えず今はリムーヴしてミュートして、面倒なのが私はURLを暗記するタイプなので、それを思い出して打ち込まないように、出来るだけアカウントのスペルを忘れたい。でもたぶん知人友人自称詩人じゃなくても、こんなひと見たら私はたぶんやっぱり泣いてる。

 自分もそんなにきちんと毅然と生きていないから、私が今後何を間違えるかは分からない。ただ、事実だと認識していることは、不倫は法律違反だということ。離婚したからといってその違反は解消されるわけではないのではないかということ。一児の母である既婚者が風俗店勤務を経て不倫、離婚に至る過程としては随分なデコレーションの連続twitterだった。

 性風俗店で働く女性の社会的立場の低さは、淫猥というイメージについてでもあるが(底辺の仕事だから辞めろと云った当時の旦那さんの気持ちは勿論分かるが)、この「底辺」の意味の一端は社会保障が僅か過ぎることだ。性病の検査を定期的にしているというのは当然で、検査していったん感染が発覚したら完治まで貴女は無収入だ。ゼロだ。不特定多数のどれくらい性的に清潔だか分からない男と触り合いながら。性交が好きなあまりに性で稼ぐ仕事を見つけて、性交出来る相手を見つけて、「私は恋をしました」と、いう。それをアーティストだの詩人だのの人生ショーとして華々しく語られるのは、何かに暴力を振るっているのを見ているような気がして、苦しくて嫌で悲しくて仕方が無かった。嫌だった。凄くいやだった。いやだった。
 読まなければ良かったんですよ。でもね、知人だったんですよ。私が悪いと思うよ。
 私は相手が私をいじめたわけではないのに私が苦しくなるという悪い癖がある。悪かったよ。ごめんよ。と思うよ。それはまあ思うよ。

 「あのひとは自分をヒロインにして物語を作らないとやっていけないから」とダイレクトメッセージが届くのに、twitterのTLではみんな彼女に好意的だ。あれ、人間って何処が表側なんだっけ。こわい。

 いい詩もあったのにね。さみしいと思うのは私の身勝手なんだろう。
 それから、私は吐気や嫌悪をどうにかしたいのと、逆に何度も読み上げて自虐したい欲求が混じって、トゥギャッターにtweetを纏めたのだが、当事者のアンチのひとたちがその纏めを利用して本人に攻撃を始めたので、自分で纏めて自分でやってよ、と思って非公開にした。なんか、そのアンチのひとたちはみんな、ちくわっていう語の入ったアカウントだったので、ちくわに謝れ。

 まあ正直、年中性欲が盛んで何かを壊して歩くのは人間より動物より野蛮な生物だ。それはまあ、そういうひとも人間なので生かしておかないといけないのが人間社会だ。