薄荷塔ニッキ

飛び石を渉れない。

right to be left me.

 今よりお利口ではなかった頃、死にたい気持ちのときは誰か仲良くしてくれているひとに、死にたい、と伝えなければ、ちゃんと死にたいになっていないような気がしていたのだろうと思う。伝えるツールとして、携帯電話のメールでひとに構って貰うのが、便利過ぎた時代のタイミングでもあったと思う。基本的に既読かどうかはLINEと違って分からないから、所謂メンヘラ具合が高まった。それでも、鬱とか、死にたいというネガティヴな気持ちこそ、仲の良い友だちに連絡するべきだと思っていた。のだと、振り返ってみて思う。そんな莫迦な考えの所為で失った友人がいたし、それで凄く淋しい気に何度もなったけれど、淋しいー! と云いながら言葉の刃を振り回している人間は、通常社会の人間関係から離されても仕方ない話だったと今では解る。ごめんねはもう云えない。掘り起こしたら更なる被害なだけで。
 誰かに訴えなければ存在しないことになるから困るという考えは、違うんだと思うくらい、ちゃんと強くなったので、だいぶんと弱っている。出来るだけ大丈夫な場所を探して、まあ、ブログに書くくらいには、存在しても良いのか、とか、一応、思った。

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