薄荷塔ニッキ

飛び石を渉れない。

牟礼鯨『南武枝線』

 嘘をつく(とされている)少女と彼女に痴漢行為を働いた男が恋愛関係になったその顛末、粗っぽく云えば。

 2012年11月の第十五回文学フリマ会場に行けないままにこの本を切望しなかったのは、古書店ビビビさんの通信販売で購入しよう、と思っていたからだ。だから、ビビビさんに置かれることは無いと知って、がびん!! という音が出そうなtweetを投げた、が、さらりとあしらわれた。読めない……ぐぐぐ……。牟礼鯨氏の本は現代ものの方が好みだと『ガリア女』を読んで思っていたのにだな。その次の大阪の文学フリマの会場にも私は行けない。他にもイヴェントがあるだろうがよく知らないし、行かない。
 が、朗報来ませり私はその後この本を、高村暦氏の恩情で入手することとなる。強慾凄い。牟礼鯨氏は泉由良をウサビッチと呼称して下さっているのだが、ウサビッチは実際本当にビッチなんだなと云われる妄想をした。未だ云われていないが。(暦さんに対して如何わしい思惑は無い。お手数を掛けて申し訳なかったです。だが強慾が勝つ。信じることさ最後に愛は勝つ。ごめんなさい)

  γ

 率直に赤裸裸に云うと、この本には捉まった。物語というものが何を定義し、小説はそして詩は、ということを私は明確に述べられないのだが牟礼鯨氏ご本人が「物語作家」と名乗っていらっしゃるので物語、と云おう。この物語に捉まった。

  γ

 私にとって物語に捉まったというのはどういうことかというと、どの単語も世界の真理を含んでいると思い込んでしまうということである。嘘つきの澤田彩香の発した言葉の「嘘つきメモ」が真理なのだという以前に、その直前の「あの息苦しいカフェ」も「一冊の方眼紙ノート」も総て真理だと思い込んでしまうということである。真理、と語で表現したいのはこの部分に在るべきものだと信じ込んでしまったということに近い。この物語に澤田彩香や「僕」や嘘や痴漢が必然だったように、「赤い輪っか」までもがここに書き込まれるべき言葉だった。「冥王星」も、「聖ニコライ堂」も。もう逃げられない。……あまり冷静な感想ではない。

  γ

 私という人間は嘘吐きだ。人間は日に7つ以上の罪は必ず犯すと教わったが、私はぽろぽろとさらさらと嘘を吐きながら生きてきた。しかしだからと云って澤田彩香に感情移入出来たと云えるわけではない。私は痴漢に遭ったことが多い方の女性だと思うが、彼奴等の手を払いのけ通報するより違う何かの感情をいつも抱いた。しかしだからこの本を理解出来るなどとは云わないし、云えない。

 また書こう。何処か別の場所に。書き終えたら、この日記にリンクするので、その日迄は、これにて。

 今日は強突く張りにならずとも、Amazon電子書籍Kindleで購入出来る。ちなみに『ガリア女』Kindle版も発行されている。

ガリア女

ガリア女

南武枝線

南武枝線