薄荷塔ニッキ

飛び石を渉れない。

けんぼーぅ

忘却キャッスル

 眠る前の電話の記憶が朧げ過ぎる。起きた瞬間の記憶が朦朧過ぎる。ふと気付くとCさんに「わたし何処でどうやって眠っていたの?」と問い合わせて、お蒲団で眠っていたよと云われる。健忘、健忘、きおーくがないー(「ハイホー」のメロディで読む)。

 眠る前の電話のことではっきり憶えているのは唯ひとつ、「電話ありがとう」と云った自分の声。そんなところを記憶していても意味がないぞ! もうちょっと肝心要なところを記憶しないと意味がないぞ!(電話をくれたのに、すみません<私信)

 あーーー、うーん、眠剤は……。まあいいんだけど。しかし電話で何か大切なこと云われていたら、全然良くないんだけど。



おこったこたこた

 Cさんが炬燵蒲団を出して、お炬燵をセッティングしてくれました。何故こんなにCさん任せにしているかと云うと、実を云うとわたしはお炬燵にはあまり興味が無いのだ! 前の家(割と古くて、割と冷え込みも激しかった賃貸の一軒家)で冬が来たとき、Cさんはお炬燵を張り切って購入してきました。たぶんわたしの記憶ではあの家には暖房が無かったのですが(冷房だけあった? 若しくはあれは暖房だけのものだった? 兎に角冷暖房というものは無かった)Cさんのお炬燵に掛ける情熱は、あなたお炬燵にロマンを持ち過ぎでしょう、とわたしとしては冷たく分析してしまうところなほどでした。わたしの実家にはお炬燵が無いのです(入ったまま眠ってしまったら駄目だ、という理由で父が買わない主義だったような気がする)というわけでわたしにはお炬燵浪漫というものがありません。

 しかし本日は大変に寒かったのでお炬燵に入ってみましたが、なんだかあまり自分にそぐわずすぐにスイッチを切ってしまいました。僕は原始人チックに膝掛けやら毛布やら上着やらスウェタァやら重ねていた方が良いようです。いや原始人は膝掛けはしないな。祖母が以前極太毛糸で編んでくれた膝掛け(大きくて、暖かい)が大事、大事、です。

 なのですが今日は一瞬お炬燵に入ってみよう、としてそれから机に戻ったので、一旦お炬燵に移住してからまた戻るあいだに、こまごまとしたものを運んでゆき、また運んで帰るという、その面倒くさい行程がなんだか虚しかったなあ。わたしはこまごまとした物を持ち過ぎだと思います。文房具とか、手帖だとか、すっきりしたひとになりたいけれど、なれた試しがありません。頑張れ自分。