薄荷塔ニッキ

飛び石を渉れない。

ハロー! ハローキティ!!

 午後になってサンリオピューロランドのことを考えていたので、曇りのような空があたまに充ちていました。それから、或るひとのことを、私の知っているなかで稀有な、愛すべき詩人のひとのひとりだと思いました。本当に素敵で、適わなくて尊敬する詩人は何人も存じ上げているけれど、魂に触ってしまったんじゃないかと思ってしまうひとは少ない。魂に触ったら、魂が詩だったとき、私は怯む。何よりも彼の心の素晴らしさは、彼は詩集を作ることを考えたり何処かに詩を発表したり投稿したりせず、只々普通に勤め人として暮らしながら、スマフォだか何かでひとり、ほとほとと言葉をこぼしているということです。一生追いつけないなんていう存在はこんなことを云わなくても多いのだろうけれど、彼には一生追いつけない。DNAレヴェルで追いつけない。と、思っています。

 DNAについて云えば、血縁という言葉は呪い地味ていて、くるしい。愛情を禁じ得ない点で、更にくるしい。較べればその点、入籍(結婚)は楽な関係です。相手には近い血縁は無いのですから──大体の場合は。

 サンリオピューロランドという場所の存在はずっと知らなくて、行く予定も今のところ無くて、実在するアミューズメントパークという風な場所なのかどうかも知らないでいます。けれども、私のなかにサンリオピューロランドは在ります。渡されてしまったから、もう、在るしかないのです。渡されてしまったものはもう消えることはありません。忘却は積極的に出来ることではないのではないと思います。
 脳は、ネガティヴな実行は出来ないそうです。「〜〜しないで、」と云われて、〜〜しないことを実行出来る脳を持つことは難しいと思います。

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 例えば、「今度はほら、オレンジを剥きながら、オレンジの汁が滴るところを想像しないでみて」と云われて、それを実行出来るでしょうか? この科白はダグラス・クープランドの『マイクロサーフス』の一節に近いです。今手元に本が無くて書写出来ないので少し想像で付け加えた表現です。